目次へ   六所宮から一望岩までの道
sub3-92 2011年12月4日 文字は、の等巾フォント(MSゴシック)でご覧ください。


夷の六所権現から後野越で西方寺の谷へ抜け、さらに大藤岩屋越で千灯の谷へは何度か歩いた。 この道は、10年に一度天台宗の僧侶が、「峯入り」と称する修業の為に歩くコースの一部である。最初は、2010年の峯入り前に、そのコースの確認の為に一人で歩いた。おおよそのコースを地図の上でシミュレーションし、トレッキングの立て札を目安に一目散に通り過ぎた。その後、トレッキングに参加し、4回ほど歩いたが、その時見かけた道筋の風景や石造物などが気になって、今日の歩きとなった。

今日は日曜日。ここより川下へ100m程下ったところに夷耶馬の尾根を歩く「中山仙境トレッキングコース」の駐車場がある。水を買うため、ここにある自動販売機に立ち寄ったが、駐車場はこのコースを楽しみに来た人だちと車で賑わっていた。私は、彼らとは、谷を挟んだ反対側の尾根を目指す。

9時30分、豊後高田市香ヶ地の夷谷と云われる場所にある六所宮前を後野越と呼ばれる峠を目指してスタートした。

先ずは、六所宮前から30m程上ったところにあるトレッキングコースの立札から、沢沿いに入り込む。後野越までの距離は900メートルとある。

沢にはセキショウが生え、水は清らかに澄み、沢底の石にぶつかりながら軽やかな音をたてて流れている。

すぐの左手に廃屋がある。廃屋には、そう遠くない生活の痕跡を感じる。

程なく橋のあったであろう場所から沢を渡り、沢沿いの荒れ果てた里道を歩き上る。途中、家屋の跡と思しき石垣が沢を挟んで4・5軒確認で きる。沢沿いの道も石垣も、流れる水や木々によって生活の痕跡を少しずつ消されていくのを感じる。

山里の不自由な生活環境を離れていった子供達を見送り、自分の代まで続いた生活のすべてを閉じ、その痕跡だけが残る寂しい里道を歩 く。

夏に歩いた時は、沢山の沢蟹が迎えてくれたが、今は、落ち葉の下にでも潜んでいるのだろうか。


やがて、里道は沢から離れて山沿いの道になる。道と沢の間には自然石が器用に積まれた石垣の棚田跡が続く。残念ながら、今はクヌギが植え られている。棚田跡からクヌギを消し去り、在りし日の棚田を想像してみた。今存在すれば、日本一きれいな棚田の景観だろう。

その棚田を見守るように、山側の斜面の上には庚申塔や墓が並んでいる。豊かな実りをいつまで見守っていたのだろうか。今は、クヌギ林の四 季折々の変化を楽しんでいるのだろう。

ここが棚田だったころには四季折々農作業に勤しむ人や牛馬が往来したに違いない。春には田植えの準備、秋には収穫した稲を背に乗せた牛馬 の往来を庚申塔もご先祖様も見守っただろう。

今は、私のようなトレッキングの連中や鹿やイノシシくらいしかこの道を通る事は無い。