庚申塔
庚申塔と呼ばれる石碑や板碑には、庚申・庚申待・庚申供養・猿田彦などと刻んだ文字碑や青面金剛を彫りこんだものなどがある。
庚申縁起(庚申信仰の記録:多く存在する)に「一座と申すは三年に十八度なり。両三年目には供養致すべし。供養とは道の辺に塚をつき四方正面の卒塔婆を立てて供物をととのえ、云々・・」とある。
この記述からすれば、庚申塔は、三年間で十八度(年六度)の庚申待を続けた記念、庚申年の記念、庚申の縁年である七庚申年の記念、庚申講内の祝い事記念として造立したと考えられる。また、単に庚申を庚申神、庚申仏として、祈りの対象物として造立したとも考えられる。
庚申日は、猿の日から鶏になることから、猿と鶏が刻まれているともいわれる。
庚申塔の青面金剛の持物、付随物は、多種多様。
庚申塔と守庚申(三尸)との関係
一般的には、守庚申の三尸と庚申塔を混同して捉える説があるが、庚申年を記念して、庚申塔石碑を立てる事と、守庚申(三尸)との関わりの記述は確認できない。
庚申塔とは、庚申縁起にあるように、「供養のために卒塔婆を立てよ」を受けての行為と解釈し、一種の供養塔・祈念塔と考ええるのが自然だろう。
庚申塔の青面金剛
庚申塔の本尊は、当初、阿弥陀如来であった様だが、江戸時代になって、青面金剛を本尊としたものが多く造立されるようになった。また、青面金剛の他、釈迦如来、大日如来、阿弥陀如来、地蔵菩薩、観音菩薩、帝釈天、猿田彦を本尊としたものもある様だ。
青面金剛は、室町末期頃に、諸仏の一尊とされ、江戸時代に入って崇拝されるようになった。※庚申と青面金剛との関係を明確に伝える資料はない。
青面金剛は、仏・菩薩・神では無く、仏教の夜叉(ヤシャ)の類と云われる。
夜叉とは、ヒンドゥー教の鬼神。仏教に入って帝釈天の使者で毘沙門天の眷属となり北方を護るとされる護法善神。中国では、民間道教と習合して庚申尊となったと云われる。
また「陀羅尼集経」では、大青面金剛呪という真言陀羅尼を唱えて、青面金剛に祈れば、諸病たちまち治癒するとある。
江戸時代に死病として恐れられた労咳は伝尸(デンシ)病ともよばれ、労咳の予防、治療は、青面金剛に祈り、体内に潜む三尸九虫を駆除する事と信じられていたらしい。この伝尸(デンシ)が字形・音ともに三尸(サンシ)に似ている事と、病気治癒にご利益があるとされたことから、庚申と、青面金剛が結びついたのかもしれない。 ※三尸九虫:三尸も九虫も同じもの。
面金剛の姿
陀羅尼集経(だらにじっきょう )( 十二巻または十三巻。 唐の阿地瞿多(あじくた)訳。 諸仏菩薩の種々の陀羅尼の功徳を説いたもの)に記された姿は、一身四手で、下手に三股叉と棒、上手に法輪と羂索(けんさく:鳥獣を捕えるワナ)を持つ、体は青色で眼は三眼、牙をむき、髑髏(どくろ)を頂く逆立った頭髪で両腕には大蛇がまといつく。足許に邪鬼を踏み付けている恐ろしい姿で、その左右に童子二人を従える。
庚申には、神道系・仏教系とある。神道系は猿田彦を祀り、庚申塔の祠にしめ縄を張る。仏教系は青面金剛を主尊としている。
一般的な庚申塔は、三面六手と腕を多く持った青面金剛となり、中段の2手には弓と矢を持つのが普通で、二童子とともに三猿・鶏などを従えている。他に二手・四手・八手などがある。いずれもその忿怒相(ふんぬそう)を以て邪霊を威嚇調伏し、教えに従わない衆生を教化するとされる。
庚申塔の猿田彦
青面金剛に対して、神道では、「庚申の夜に祀るべき祭神は猿田彦大神である」と山崎闇斎(江戸前期の儒者・神道家 1618〜1682年)が説き、その流れを汲む神道家によって広まったと云わる。
猿田彦(サルタヒコ)とは、記紀神話で天孫ニニギ尊の降臨に際して、道案内者として現れた国つ神で、赤い顔をした鼻高の天狗に似た大男である。その猿田彦を庚申尊とするわけは、猿田彦の猿が庚申の申と解釈される事によると考えられる。 |
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猿田彦は、降臨するニニギの道の露払いをしたことから、禍を払う力があると解釈された。また、猿田彦は、別名を大田神と呼ばれる事から、田の神・五穀豊穣の神と解釈され、豊作豊穣をもたらす神と崇められたと考えられる。
守庚申とは・・
抱朴子(ホウボクシ:道教の教説書。内・外篇8巻72篇。の著書。317年ごろ成立。神仙思想に道家の説や修行法を加えてまとめた内篇と、儒家の立場から政治・社会などを述べた外篇から成る書)によれば、・・・
三尸とは、人の体内に住む三匹の虫と云われるもので、それぞれ頭部・腹部・脚部に潜んでいる。人の体内に潜む三尸には形は無く、鬼神や霊魂の類と思われる。潜む人が死ぬと、三尸はその体外に出て自由に振る舞うことが出来る様になる。潜み住む人間の早死を望み、庚申の夜、眠っている人の体から抜け出して、天に登り、人間の悪事を天帝に告げる。天帝は、庚申の日のみ門を開いて三尸(鬼神や霊魂の類)から、人々の善悪の様を聞き、その功罪の程度に従って寿命の伸縮を決める。
この三尸を制するのは、庚申の夜を眠らずに守り、天帝に罪を報告できないようにすることである。「罪が、500条に達すると、その人は必ず死ぬ」といわれる。また、「三度庚申を守れば三尸は振伏し、七度庚申を守れば三尸を絶滅させられる」といわれる。
人間、皆過ちはあるもので、それを60日ごとに報告されて寿命が短縮するのは困る。そこで、庚申の夜に三尸が体内から抜け出て天に登らない様、「庚申の夜は、徹夜して過ごす」と説くのが庚申信仰である。この様な主旨から、特定の神仏に祈るものでは無く、ただ寝ないで過ごすという特異な行為で、これを「守庚申」と云った様である。
また、別の情報によれば、以下の様に説明している。
三尸(さんし)は、上尸・中尸・下尸の三種類の事で、上尸の虫は道士の姿、中尸の虫は獣の姿、下尸の虫は牛の頭に人の足の姿をしており、大きさは2寸くらいと云われる。これら3匹の虫は、人間が生れ落ちるときから体内にいるとされる。これは、道教の教えに由来する。三尸は三中(さんちゅう)ともいわれる。
下尸は、足に住み着き精力を減退させ寿命を縮める。
中尸は、腹部に住み着き、暴飲暴食させ、五臓を損なう。また、悪夢の原因にもなる。
上尸は、頭部に住み着き、眼を悪くさせ、顔の皺を作る。また、頭髪を白髪にさせる。
庚申待ちあるいは守庚申の行事は、平安の貴族の間に始まり、その後、近世では、近隣の人々が集まり、夜通しの酒宴を行うという庚申講の風習となって民間に広まった様だ。
※道士とは・・・中国の道教実修者の総称。仏教の僧、僧侶に相当する。
※天帝とは・・・天にあって動かない北極星(北辰ともいう)。宇宙の全てを支配する最高神・天帝(太一神ともいう)として崇めた。
(参考)
天帝の乗り物ともされる北斗七星は、天帝からの委託を受けて人々の行状を監視し、その生死禍福を支配するとされる。
北辰・北斗に祈れば百邪を除き、災厄を免れ、福がもたらされ、長生きできるとして信仰が生まれた。また、悪行があれば寿命が縮められ、死後も地獄の責め苦から免れないとも・・・。
〈参考〉道教の教えでは、人間の体内には、魂(コン)、魄(ハク)、三尸(さんし)三つの霊が宿っている。
人が死ぬと、魂(コン)は天に昇り、魄(ハク)は地下に入る。
三尸は、人間が死んだ後は自由に遊び回れる存在となる事から、早く宿主が死ぬのを待ち望んでいる。
★【国東半島の庚申信仰現状】
庚申信仰は、多くの変遷を経ながら庶民生活に中に根付いていたが、大正以降急速に衰えていった。
WEBの情報によれば、昭和30年代頃の農村部には残っていたが、平成の代になった今、昔ながらの庚申信仰はなくなった。
庚申信仰を支えたのは庚申講だったが、その衰退は、社会的な人間関係の変化、宗教意識の希薄化等によるものと考えられる。都会はもとより、地方に於いても、宗教を核とした行事が大幅に減少している。
・ ・・云々と、あるが、国東半島の一部では、今(2011年現在)も庚申祭りと称して、行われている。
国東市他・・・・(※要調査)
※本内容は、Wikipedia等、Web情報を参考にしました。 |
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