←top kebesu-aw 櫛来社のケベス祭
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2009/10/14・15

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国東半島に戻り住んで27年経つが、ケベス祭をこの目で見た事はなかった。

今年こそはと思い立っての見物となった。ケベス祭を少し調べておこうと、WEBで探すも、あまり詳しい事は分からない。唯一、手持ちの『和歌森 太郎編 くにさき』の『第4章 櫛来社をめぐる祭事』に昭和33年当時の様子が紹介されているのを見つけ、さらなる興味を持つ事が出来た。

今日は、2009年10月13日(火)晴天。有名なケベス祭は明日の14日と聞くが、駐車場の事なども気になって、今日一度下見に出かける事にした。

ただいま午後1時。ここから私のケベス祭見物が始まる。 (画像は、火に飛び込むケベス 14日) 



櫛来社に到着し、神社の浜殿前に車を停めて、ふと海の方に目をやると、浜殿の後ろの民家の庭に白装束の人達が集まってなにやらしている。そこへ向かって行くと、しめ縄が庭の入り口に張られている。

しめ縄の向こうでは、白装束に身を固め、口に神シバを咥えた男達が忙しそうに動いている。
その様子を縄の外から見ていた私に気づいて、一人の老人が声を掛けてくれた。
「中に入って見て良いよ。」・・・・

声を掛けていただいたのは、国広太志さん(73歳)。後で知ったのだが、今年のケベス祭を取り仕切る大世話人だった。

場所は、トウバモトの松本茂氏の家のツボ(庭)である。白装束の人々は、トウバグミの男衆である。トウバグミの男集がトウバモトで神饌、すなわち御供え造りをしている所だった。

出していただいた汎用プラケースに腰掛けて御供えつくりの様子を見物させていただく。

目の前の様子を少し紹介すると、海を背にして、松本家が南向きに建っている。その庭に今日の御供えつくり、すなわち、餅搗きの舞台がつくられている。

母屋の座敷間左半分のところに神小屋(神穂屋:カムホヤ、または酒部屋:サカベヤ)が建てられ、神小屋の西面にジンドウサマを祀る棚がある。その正面の東面に扉が作りつけられている。

 

ジンドウサマの面は、座敷前のクロガネモチの木を柱の一本として、もう一本を幅20cm程の板で支え、2m程の高さに、同じく幅20cm程の板を渡して神棚をつくり、その上に枡に収めたジンドウサマを祀っている。

ジンドウサマは、その高い位置から、餅つきの様子を眺めている。
広い庭の西(神小屋前)には、搗いた餅を千切り丸める台を作り、東には、餅米を蒸す竈が配置され、その手前(南)には、大きな石臼が置かれている。トウバの男達は、それぞれ、庭の端に置かれた汎用プラケースに腰掛けて餅米の蒸し上がるのを待ちながら雑談している。

トウバ組の男達は、皆白装束で、口には神シバの葉を咥えている。これは、神聖な御供えに唾を飛ばさない様にする為である。

やがて、餅米が蒸しあがると、蒸篭ごと石臼に運ばれ、臼に反される。トウバの男達が千本杵(棒杵)で搗き始める。四五人で10分程搗くと、今度は大きな普通の杵で仕上げ搗きをする。これを取り上げて、台に運び、それぞれのお供えの形に丸めて行く。

 

トウバ組の男達は、黙々とだが楽しそうに餅を千切り、粉だらけになりながらオクツガタモチやオナワモチを形作っていく。オクツガタモチも規定の大きさがあるようだが、引き伸ばしてもなかなか言うことを聞いてくれない搗きたての熱い餅と格闘していた。
また、オナワモチはその造形が独特で、神主さんの指導で、何とか形になっていた。

2m四方ほどの板の上に片栗粉を広げ、その上に搗きたての熱い餅をのせ、肩を寄せ合っての共同作業はとても楽しげに見えた。この行事、組の輪を繋ぐ意味合いを感じるものでもある。

その様子を観察する合間に、トウバ組の人たちとの会話も楽しんだ。トウバモトの松本茂氏は、川を挟んだ玉ねぎ加工工場の社長さん。トウバモトとしてこまめに動き回っていた。

小学生もトウバとして参加する、この行事に参加するために、他人の火で調理した物を口に出来ない為、学校へはお弁当持参していると聞いた。もちろん肉も祭りが終わるまで口にしないそうだ。これは、会社勤めのトウバの皆さんも同じ。


トウバグミの代表としてすべてを取り仕切る「大世話人」の国広太志さんからケベス祭の準備日程を表を見せていただいた。
行事の準備は、9月30日から始まっている。役割を決めて、大変な労力を掛けて今日に至ってる。びっしりと書き込まれた行事計画表から大世話人の重責を感じ取れた。

  →【行事日程】をクリックして下さい。

私が、ここに到着してから餅搗きが3時間ほど続けられていた。まだまだ終わる様子は無い。
明日は、何時頃来ればいいですか?の質問に対して、2時頃くれば丁度良いかな?と教えていただいた。

ただいまの時間は午後4時半。陽も大きく西に傾いて肌寒さを感じてきたる。餅搗きが終わると太鼓が鳴らされ、この場から遠ざかっていた女性達が戻ってくるそうだ。

明日もよろしくお願いしますと挨拶して帰路に着いた。