kebesu-b 櫛来社のケベス祭
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2009/10/14・15

10月13日

昭和33年当時の記録では、櫛来区には13の組があり、その組が毎年持ち回りでトウバ組となっていた。人口の減少によって、10のトウバ組になり、今は8組と聞いた。ただ、区内の組数が減少したわけでは無く、トウバとして必要な男の人数が確保出来なくなり、その確保のために、二つの組を抱き合わせて当年のトウバ組とする為である。今年は、古江上・古江下の二つの組でトウバ組を受け持った。トウバとして、最低12名の元気な成人男性が必要との事。さらに、家族に不幸があればトウバにはなれない。



少しそれぞれの不思議や疑問にこたえていただいた事を書いてみよう。もちろん、私が本やWEBで調べた事も交えてである。

先ずは、ジンドウサマについて・・・
残念ながら、升に納められたそのお顔を拝む事は出来なかった。昭和33年当時の様子が【和歌森太郎編 くにさき 】に紹介されており、ジンドウサマの面が写真掲載されていた。無断借用だが、その画像を紹介しよう。への字に結んだ大きな口、盛り上がった大きな団子っ鼻、シワシワの顔からして、猿田彦そのものであると感じる。神主さんに尋ねてみたが「分からないところが良い」との事。また、トウバの皆さんもジンドウサマのお顔を拝んだ事は無いとの事。
 
ジンドウサマ面 猿田彦面
猿田彦(サルタヒコ)神は、日本神話に登場する神導きの神様の代表格と云われ、鼻が異様に大きく、サルのような面持ちとあり、「神導きの神様」と云われる。ジンドウサマ・・「神導様」と解釈すれば、ジンドウサマは猿田彦と結びつける事が出来ないだろうか。

ジンドウサマの面は、トウバモトの母屋の先に、お供え作りを監視する様に升に納められて、高い棚の上からその様子を見下ろしていた。升には、墨書きの天保14の字が読み取れた。

昭和33年時点では、ジンドウサマは升の中に何も覆われることなく飾られている。何時、なぜ、このような袋を被せてしまったのか謎。トウバの誰もその理由を知らなかった。面は、神主さんが管理されている様だ。


10月14日
国見町の、マイルドさんと待ち合わせをした。境内でお会いして、話をしているうちに、櫛来社の祭典一式を取り仕切っているのは、マイルドさんの同級生である須磨和啓氏である事を聞いた。
それを聞いて、先日読んだ新聞記事の話を紹介した。新聞によれば、須磨和啓宮司(59歳)は、つい先日の9月21日に脳血栓で急逝されたと書かれていた。今年は、氏の後を兄の長憘氏が急遽引き継いだと・・・
マイルドさんは、同級生の死に相当のショックを受けた様だった。須磨和啓氏は宇佐神宮の権禰宜の位、長憘氏は宇佐神宮の禰宜の位にある。

マイルドさんは、この情報によるショックからか、シオカキの始まる前に帰宅されてしまった。
須磨長憘氏