伝 吉田光由(よしだみつよし) 
             
             
            上香ヶ地の夷台林と言うところに伝吉田光吉とその弟子渡辺藤兵衛の墓がある。ここを芳本清一郎先生に紹介いただいた。 
             
            吉田光由の上に伝とつけているのは、言い伝えだけにより、確たる証が無い事からである。 
             
            現在は、この言い伝えを聞き、珠算関係者等大勢の参拝があるとお聞きした。 
             
             
            説明書きを転記する。 
             
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                  市指定史跡 
             
            伝 吉田光由の墓 
              渡辺藤兵衛の墓 
                       大字夷台林 
                       寛文の頃 
             
             吉田光由は江戸時代初期の大数学者で、主著は有名な塵劫記である。晩年熊本の細川候に仕えていましたが、そこを辞してから諸国を漫遊していました。夷の地に来て風光と人情が気に入り、稽古庵という塾を開いて当地の子弟を教育しました。 
             しばらくして吉田光由の門弟渡辺藤兵衛が師を探し求めて夷に来ま。吉田光由は寛文十二年年亡くなりましたが、その墓がこの無銘の墓だと伝えられています。 
             渡辺藤兵衛は宝永四年に亡くなりました。 
            その墓に見られるとおり法名俗名等はっきり刻まれています。 
                         豊後高田市教育委員会 | 
                 
              
             
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            Wikipediaより吉田光由に関する情報 
             
            慶長3年(1598年)〜寛文122年11月21日(1673年1月8日)は、江戸時代前期の和算家である。 
            京都の豪商角倉家の一族。久庵と号す。角倉了以は外祖父にあたる。初の和算家毛利重能に師事した。のち一族の角倉素庵のもとで中国の数学書『算法統宗』の研究を行い、それをもとに1628年(寛永5年)、著書『塵劫記』を出版した。同書は絵を多用し基礎から応用まで容易に学習出来るように書かれた数学入門の模範と評価された。晩年には失明し、75歳で没した。 
             
            なお、芳本先生の説明によれば、塵劫記の塵は小さな数字で劫は大きな数字との意味。 | 
          
          
             
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            伝吉田光由の墓は説明書きからしばらく坂道を山中に上ったところにあった。墓の場所には無数の墓石が建ち並び、深い歴史を感じる。 
             
            吉田光由の墓は、墓地の一等地に位置し、彼の面倒を見ていた庄屋のはからいによるものだろう。 
             
            墓石には、何の印も文字も刻まれない、「白墓」と云われるもので、芳本清一郎先生のお話によれば、吉田光由がキリシタンだったので、その印を残さなかったのではなかろうかとの事である。 
             
            吉田光由の墓の少し下に渡辺藤兵衛の墓があるが、こちらは多数の墓の間に墓石がたてられている。 | 
          
          
            
             
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            | 塵劫記の一部 webより拝借 | 
          
          
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            吉田光由の墓に向かう道筋に多くの石造物がみられた。 
            墓の守り神とされる六地蔵 | 
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            新たな発見となった石造仁王像 
            小さな仁王さんだが造形は緻密で繊細 | 
          
          
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