目次へ 上香々地石像文化財探訪−2
sub3-95 2011年12月24日 文字は、の等巾フォント(MSゴシック)でご覧ください。

【国東半島エコツーリズム研究会 第2回】

エコツーリズム研究会第2回目を開催した。
今回は、地元の歴史研究家である、芳本清一郎先生にご参加をいただき、遺跡に関する詳細な説明並びに資料を提供いただき、非常に充実した第2回目となりました。芳本先生並びに芳本先生にお声掛けいただいた研究会メンバーの大日向氏に感謝いたします。 ありがとうございました。

【探訪石造文化財】

1.狩場 五柱大明神社 薬師堂 石殿神社 墓地
2.横岳 割石 観音堂
3.小野迫 梅ノ木磨崖仏
4.道園 線刻板碑(連碑)、磨崖五輪塔他
5.道園 カニの庚申塔 
6.下坊中 霊仙寺 六所権現社
7.台林 伝吉田光由の墓他
 【参加者】

  特別参加 ・芳本清一郎先生

  国 見 町 ・大日向氏・有永氏・山本氏
       ・有永氏・堀田氏 

  安 岐 町 ・村野氏・青鬼君

狩場 五柱大明神社(いつはしらだいみょうじん)・・芳本清一郎先生提供資料転載

・所在 : 香ヶ地町夷(西狩場)内立
・祭祀者: 西狩場講中
・祭 神: 思穂身命 天彦根命 天雅日命
沿津日子命 熊野久須毘命
・規 模: 大正10年新築
「社司 進藤正則  棟梁 隈井保」
・金石文: 鳥居 「昭和十六年九月吉日」
    荒木清一郎 仝平次郎 仝悟
    仝富貴男 荒木桐夫 仝なか
    村角さかえ

鳥居右柱 石工 見目徳久増蔵 隈井驫
          井本清
仁王像 総高約1m「文政二年卯三月」
           1812年
    石工 板井宮内
    願主 隈井武衛門
灯籠1基 「隈井徳左エ門 隈井幸八」
・祭 祀: 講中の者が神職を招いてお祭りをする
・その他: 拝殿の横に鐘状の岩がある。釣鐘岩という。
またこの地を釣鐘狩場という。
つりがねかりばの由来が楽庭の広場の石に書かれている。

芳本先生の話に聴き入る研究会メンバー 五柱大明神のご神像

五柱大明神   芳本清一郎先生の提供資料転載

大字夷の西狩場に五柱明神がある。五柱とは五つの神ということである。

社殿の奥は岩盤となっており、そこに洞窟を掘って五体の石造のご神像が祀られている。

いつの頃の作かわからないが真新しいとも思える立派な神像である。

あるいは相当に古いものかもしれないが、洞窟の中ではあり、前面には板で覆いも施されているので日は全く当たらず、風雨にさらされることもないので風化が進まず作られたときの石面を維持しているからかもしれない。
五柱大明神には霊異があるといわれる。西狩場の住人は現今(2000年頃?)は三軒で四人だが、かっては十軒程もあり数十人が住んでいた。昔火事が出た。その時社殿の横の俗称釣鐘岩がジヤンジヤンと鳴りだし火事を遠近に報らせたという。2011年現在は住む人無しの地となった。

また先年大晦日に西狩場の人たちが参籠していたら、風もないのにクオークオーと風のような波のような音がしたという。人々は神様が喜びの声をあげているのではないかと話しあったということである。

西狩場の人たちは年番をきめて五柱明神をお守りしている。

楽庭社脇の広場にあった説明書き

薬師堂の石祠 薬師堂の自鳴鐘と呼ばれる石

岩壁に彫られた龕祠に薬師如来座像(向かって右)と地蔵菩薩が祀られ、中央の石住に薬師如来、右の柱には文政六年癸未(1823年)と刻字されている。
今は、五柱大明神の社となっているが、以前は薬師堂ではなかったか?

「国東半島の歴史と民族 著者梅原治夫氏 昭和49年発行」
によれば、三重八景(夷八景)の一つとして、薬師堂の自鳴鐘と紹介している。それには、言い伝えによれば、国の危機に際して、人の力によらず自然に鳴るとしている。


仁王さんと石灯籠
青面金剛(猿田彦大神)碑