霊仙寺
六郷満山寺院末山本寺
六郷山諸勤行注進目録(ろくごうさん しょごんぎょう ちゆうしん もくろく)に「中山分一夷石屋本尊千手観世音菩薩云々]とあり、また、根本院雲仙寺縁起に「豊後州国東郡香々地荘古婆蘇山(きばそやま)雲仙寺は往昔(おうじやく)、入門菩薩開聞(かいびやく)霊場にして六郷二十八古刹(こさつ)のうちの一寺なり(中略)この村の長(おさ)に隈井告達という者あり善心を発して傭夫(ようふ:雇い人)を促し岩窟を開く云々」と記されている。
「国東半島の歴史と民族 著者梅原治夫氏昭和49年発行」による。
山門
六所宮でも書いたが、この山門は六所宮にあったものを移設したそうだ。 |
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仁王石像 |
霊仙寺の山門前には平板石にレリーフ彫刻の仁王さんが立っている。
山門前の仁王石像については、幼稚と云う人もいるが、この造形の深さは最高の傑作と言えるのでは無かろうか。
よく観察すれば、左右の像は細部の彫りが大きく異なっている。
この二体は、別の場所にあったものをここへ持ってきたのでは無かろうか。
六所宮の境内右手奥に置かれている首のない仁王さんがこの左吽形の仁王と似ていると思うが、如何だろうか。首は欠損しているが、金剛杵を右手に持った阿形像と想像出来、腰紐の形が酷似している。
阿形にマウスのカーソルを合わせれば、六所宮の仁王像と比較できます。 |
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蔵王権現 |
毘沙門天石像 |
山門を潜って振り返ると、山門にもたれ掛かる様に片足を上げた蔵王銀現と鉾をどこかに置き忘れた毘沙門天さんが立っている。丸くふくよかな彫りは、板井一門の作品だろうか。
蔵王権現石像は、ここの他に、国見町の鷲巣岳に一体、ここから少しくだった長小野の行者窟に一体、香ヶ地の長崎鼻に1体ある。また、近年安岐町の両子寺に真新しい蔵王権現石像が2体置かれた。
毘沙門天は、右手に仏塔、のばした左手に鉾を握り忿形(ふんけい:いかる形相)をしている。四天王の一神で四方を守護する護法神。
蔵王権現は、役行者が吉野金峰山で修行参籠中に示現したと云われる。 |
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地蔵菩薩石像
境内には見上げる大きさの地蔵菩薩石像がそびえ立っている。像高は5.5mだが、高い蓮台と基壇上に立っているので、7mから8ほどに感じる。製作は蔓延元年(1860年)。両側に仁王石像が置かれているが、小さく見える。
仁王石像
嘉永7年(1854年)造立。像高は1.6mから1.7m。やや、吽形の方が像高が低い。石工は、台座に板井法橋国良と板井林三良国政と刻まれている。
大きな地蔵さんの脇では小さな仁王さんにしか見えないが、丸みを帯びた柔らかい形相で親しみある仁王さんである。
境内奥の岩山には宝篋印塔や羅漢石像他の石造物が多数点在している。 |
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境内をうろうろしていたが、講堂内を見せていただこうと和尚にお願いしたところ、快く戸を開けていただいた。
薄暗い講堂内には、秘仏の千手観音の代わりに真新しい千手観音像が置かれていた。
佛頭
また、左奥に千手観音のものか十一面観音像のものか定かでないが見事な彫りの仏の頭が置かれている。作者は、この地の仏師板井氏、製作は江戸期とされている。
そのた、如来像、菩薩像、天部像などの古仏が安置されている。
狛犬
六所宮の夷岩屋にあったと云われる一対の小さな狛犬があると聞いた。目を懲らして探すと、右端に一つだけ見えた。 |
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霊仙寺講堂をじっくり見せていただき、ご丁寧な説明をいただきました。
応対いただいたご住職ありがとうごさいました。
これで、本日の研究会はお終いと考えましたが、折角芳本先生の参加いただいているのでもう少しと言う事になりました。もう少し足を伸ばしましょう。 |
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