目次へ 上香々地石像文化財探訪−2

sub3-95c 2011年12月24日 文字は、の等巾フォント(MSゴシック)でご覧ください。

梅ノ木磨崖仏他
駐車場に車を停めて、磨崖仏に通じる狭い道を歩く。竹田川の源流と思しき小川を渡り、川沿いの道をのぼる。道はあちこち掘り起こされてボコボコとして歩きにくい。猪の仕業らしい。

歩きにくい坂道を上りながら上を見上げると、そびえ立つ岩壁に岩屋の様な堂宇が見えてくる。

堂宇前の新しい立て看板を以下に転記した。


県指定梅ノ木磨崖像
 中尊は、縦横約1mの枠取りの中に浮彫りされている。地蔵尊ともに仁聞菩薩像ともいう。
像高は40cm、総高は約70cmである。
像にはわずかに着色のあとが残っている。
像の上には天蓋がかざされている。
 像の左方には比丘像が、右方には比丘尼像が二体ある。いずれも中尊に向かって拝んでいるようすである。

 同じ岩壁の左手には線刻板碑や磨崖五輪塔があり、またこの近くには多数の五輪塔がある。
 いつの頃の作か不詳だがこの地区にある別の磨崖像に南北朝期のものがいくつかあるのでその時代と推定している。
 昭和二十八年県指定文化財となった。
             香々地町教育委員会

       比丘 主尊 比丘尼像(二体)      

比丘 中尊(頭上に天蓋)

以下は、地面に倒れていた昔の説明書き
より詳細な説明でわかりやすい





比丘尼像
県指定文化財 梅ノ木磨崖地蔵尊

 主尊は地蔵菩尊ですが、土地の人は仁聞菩薩とも言います。縦横約一mの枠取りの中に浮彫りされています。
頭上には天蓋が置かれ。右手に錫杖をたて左手に宝珠を持った座像で彩色のあとが残っています。総高七十cm
像高四十cmです。この像は端厳な鎌倉時代の作風を承けたもので製作は室町初期であろうと言われています。
左側には比丘像があり、右側には二体の比丘尼像があります。いずれも合掌して主尊の方に向い主尊を称えている姿です。

線刻板碑
崖の左手には線刻板碑があります。二十一個の連碑となっています。

磨崖五輪塔
地蔵堂の右側左側に合わせて十九基の磨崖五輪塔があります。いずれにも下部に方形の穴がありますが線香や
供物を置くためのものでしょうか。

五輪塔群
堂の右手の一段高いところに五輪塔がたくさんあります。

線刻板碑 連碑
左の画像が線刻板碑だが、風化摩滅が激しく、近づいて目を懲らさねば確認できない。画面上部に横線が見えるが、その線に頭を揃える様に板碑が並んでいる。文字は全く見えない。

磨崖五輪塔 五輪塔群

堂宇の左手に連碑と並んで彫られている磨崖五輪塔と右手一段上の岩壁に彫られているのが確認できる。
五輪塔とは、下から方形=地輪(ちりん)、円形=水輪(すいりん)、三角形(または笠形、屋根形)=火輪(かりん)、半月形=風輪(ふうりん)、宝珠形=空輪(くうりん)によって構成され、古代インドにおいて宇宙の構成要素・元素と考えられた五大を象徴すると言われている。

主に供養塔・墓塔として使われる仏塔とされる。五輪卒塔婆が原型と考えられる事から、このような平面の磨崖五輪塔はすごく自然な形と理解しても良いのでは無かろうか。

ここには十九基あると書かれていますが、・・・

五輪塔群と磨崖五輪塔

全景

芳本清一郎先生にいただいた資料に“祭祀”について、「昔は小野迫講中では一番百手、二番百手があり、そのときお祭りをしていた。」と記載されている。 この、百手について芳本先生におたずねしようと思う。
後野越途中で見た百手祭りの痕跡と関係があるのだろうか?