目次へ 上香々地石像文化財探訪−2

sub3-95b 2011年12月24日 文字は、の等巾フォント(MSゴシック)でご覧ください。

西狩場横岳の割石
東夷の六所権現社川向こうと、西夷の横岳に、中央から二つに割れた高さ10m程の石が地上に突き出ている。その割れ目はおおよそ30cmほどある。

この二つの割石は兄弟割石と呼ばれており、東の割石が雉(キジ)を喰えば、西の割石は人を喰い、東の割石が人を喰えば、西の割石は雉を喰うと言い伝えられている。

この割石の割れ目に入り込んだ人と雉が逃れようとして出口に向かえば、出口が狭くなって出られず、逆方向の出口に向かえばそこが狭くなって外に出ることができず、遂には、石に喰われてしまうと言い伝えられている。

ある時、西の割石に人が挟まり、出るに出られなくなった。とうとう、生きている間に助け出すことが出来ず、息絶えたとの言い伝えを聞いた。
その墓標が割れ石の東後方にあるという。

2006年11月5日 初回注連縄かけ

2004年5月9日撮影
横岳観音堂(木浦松観音堂)

2004年5月9日にお接待でこの観音堂を訪れた。
この上に実家に帰省し、観音堂でお接待を出していた老夫婦にお会いした。北九州にお住まいで、お接待の行事に合わせて帰省し、お接待を出しているとお聞きした。

あれから7年が過ぎた横岳観音堂だったが、綺麗に掃除され守られていた。

先週、割石の注連縄かけを観に来た時に、大分合同新聞社豊後高田支局の記者さんにお会いし、話をしていたら、私が2004年にお会いした老夫婦の妹さんとの事。
老夫婦の事をたずねると、残念ながら既にお亡くなりになったとの事だった。

横岳観音堂

木造の観音様と仁王石像


以下、山本氏画像無断拝借
横岳観音堂の脇には、大木の石造物の残骸が無造作に置かれている。
研究会メンバーの山本さんによれば、それらは、一字一石供養塔との事。

「国東半島の歴史と民族 著者梅原治夫氏 昭和49年発行」に書かれている、禽獣供養塔の中に、「狩場地蔵堂にもう一基あったといわれるが、半世紀前に倒されて現在は台座のみが残されている。」・・とある地蔵堂の台座では無かろうかと想像するが?

今後の研究テーマとしよう。また、この観音堂を木浦松観音堂とも云う。このキーワードが何を意味するか?

ここからは、険しい岩山のつくる絶景が楽しめる。