目次へ   上香々地石像文化財探訪-1
sub3-93a 2011年12月12日 文字は、の等巾フォント(MSゴシック)でご覧ください。


第2番目の「施恩寺 禽獣供養塔:きんじゅうくようとう、蠢霊大明神:しゅんれいだいみょうじん」

秋本から川沿いの県道を上る事数百メートルで広域長道と交差する。広域長道を右折して50m程の所が施恩寺。

駐車場に車を停め、さっそく目的の禽獣供養塔、蠢霊大明神の碑を探す。
目的のものは、境内へ続く短い参道の左側にあった。碑に刻まれている文字を眺めていたが良くわからない。

そこで、山本氏が、和尚に聞いてくると、寺へ向かった。程なく、和尚がこれらの石造物や寺の云われ等を纏め書きした書物を持参し、私たちへ貸し与えてくれた。和尚は、檀家のどこかへお参りがあると言い残して出て行った。

私たちは、その書物で多くのことを確認できた。

蠢霊大明神:蠢は蠢く(うごめく)虫の事らしいが、書物には、カメムシと具体的な虫の名が書かれていた。農薬の無かったころ、大量発生するカメムシは稲作の大敵であり、百姓は一匹一匹手で摘み殺していた。

この厄介なカメムシの発生をや虫害を鎮めるために蠢霊大明神を祭ったと書かれていた。また、これを「ふう神さま」とも云っていたようである。


お借りした、書物には、以下の様に説明されていました。


蠢霊大明神

むかしの人はふうがみさまと呼んでいました。ふうはふともいいかめ虫のことです。蠢霊とはかめ虫の霊ということになりましょうか。
その蠢霊を神さまとして祀ったのが蠢霊大明神です。

昭和の初めの頃は貴船橋の西側下手の所に一畝ぐらいの台地がありそこをお旅所(たびしょ)といっていました。そこにふうがみさまは祀られていました。

ふは稲を喰いあらす害虫です。
年によっては大量に発生し大被害をおこしました。昔は適当な農薬もなく百姓は一匹ずつ手で捕獲しひねりつぶしていました。秋になって二百十日の頃三角講中の一たちはお旅所でふうがみ祭りをしていました。
蠢霊を鎮め、あわせて台風の襲来を防ぐためでした。

戦時中の頃門前にうつされたものと思います。

禽獣供養塔

門前参道左手にひときわ高く石造物が建っています。禽獣供養塔です。
むかし猟師がしし(猪も鹿もししsといった)を千匹とるとその動物たちの慰霊のためこんな塔を建てたといわれます。
塔の背面や側面に銘がありますからいろいろなことがわかります。

 「施主 舛田増右エ門 村吏国実瀬兵衛真敏
  石工 羽根村野上栄蔵・夷村法橋板井国良
  佐古村清里宗七・市丸九平
  佐古村岩右エ門 羽根村源作 仝廣宇エ門
  見目村新蔵 山畠村悦蔵
  弘化二乙己年 八月如意日」

「国東半島の歴史と民族 著者梅原治夫氏 昭和49年発行」には、禽獣供養塔は以前、この上の部落にあったものを、近世ここに移した。塔は弘化2年(1845年)建立。

この他狩場地蔵堂にもう一基あったといわれるが、半世紀前に倒されて現在は台座のみ残されている。・・とある。

この他、国見町赤根阿弥陀寺境内の禽獣供養塔(慶応3年=1867年)、国東町九回、寺西端の道すじにある猪供養塔(文政5年=1822年)、国東町成仏桜木氏敷地内の鳥類畜類殺生一切供養塔(天保15年=1844年)、真玉町椿堂にも一基。

狩猟の対象とした鳥獣に対する感謝か恐れか、その霊が災いを起こすことのない様に鎮めるための祈念碑建立や、イナゴやカメムシ等の害虫の発生や虫害の発生無き事を神に祈る事が当たり前だった素朴で清純な国東半島の農民の心を伝える貴重な石造文化財である。

施恵寺では、お茶とお菓子のあたたかい接待をいただいた。冷たい風でかじかむ手もあたたかくなった。