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2010mineiri-n

後野を越えて西方寺の谷へ阿弥陀堂を越えて千燈の谷へ

六所権現の鳥居から100m程のぼると左手にトレッキングの「後野越0.9km」道標がある。
後野越の峠まで900m、約30分程の道程。
沢沿いに荒れた道をのぼる。途中、農機具の朽ち果てたものが置き去りにされていた。

鬱蒼と茂る森に中には立派な石垣の跡が残る。以前はこのあたりまで田んぼがあって水稲栽培が行われていたのだろう。
農機具の普及で、不便な場所での稲作がどんどん放棄されて行ったのだろう。

今日は、2010年3月27日。あと数日で峯入りの一行がここを歩く。

後野越の峠直前で左手の壁の上で物音がした。あわてて見上げると鹿が壁を駆け上がって行くのが見えた。

後野越の峠を越えると、西方寺の谷へと一気に下る。距離にして700m。途中、沢沿いに沢山のミツマタの木を見かける。ちょうど花が満開で、真っ白な花をつけていた。
結構広範囲にミツマタが群生している。たぶん、この谷でミツマタを栽培していたのだろう。

峠までの上りで汗ばんだ体に、谷から吹き上げてくる風が気持ちいい。その風に乗って、サクラの花がひらひらと舞い落ちてくる。

もう少し歩けば西方寺の谷に着く。峯入りの為に地域の人たちが整備した道はわかりやすくて歩きやすい。

トレッキングの道標は西方寺まで0.4kmを示している。

西方寺の谷まで700mを21分で歩いた。のんびりと写真を撮ったり、木々を見上げたりだから、早足の峯入りの一行なら15分程度だろうか?

当日、峯入りの一行が西方寺の谷へ下り着くと、村人の暖かいお接待が待っていた。

村人は、10年に一度行われる峯入りの一行の為に前日から準備した。暖かいお接待に足を止めて村人との会話を楽しんだり錫杖で加持し健康を祈祷した。

画像は、国見町の山本さんにいただきました。
一行の到着を待つ村人

お接待を受ける大先達 1時50分 お接待で労をねぎらう


西方寺の谷では、西方山清浄光寺を遙拝する。西方山清浄光寺はここから2km程下ったところにある。

西方山清浄光寺(国見町HPより転記)
国東六郷満山霊場第22札所。養老2年(718年)仁聞菩薩の開基。六郷満山末寺(布教するところ)本寺。
国東半島に展開する放射支谷の一つで竹田津川上流の鷲ノ巣岳の西山麓に位置しています。大字西方寺十楽坊から竹田津川を渡ると鳥居があり、そこから参道が一直線に延びています。参道から向かって左手の高台に本堂・庫裏があります。その本堂の前には安永4年銘の仁王と門跡、明治時代の巨大な宝篋印塔、地蔵像が、またその隅には五輪塔や石祠などが残されています。
本堂の横から石段を登り詰めると国東塔や宝篋印塔、宝塔が一列に並んで立っていますが、その左側に講堂が建ち、講堂に向かって左側に二体の仁王と観音大師堂、右側上に六所権現社があります。


ここから鷲ノ巣岳の南側を越えて千燈の谷へ向かう。途中、阿弥陀堂をのある峠を越える事から「阿弥陀越」とも云われる道を通る。千燈寺までおおよそ4km程だろう。
途中、難所は、阿弥陀堂までの上りと、阿弥陀堂から大不動岩屋までの荒れた山中の道程。滑りやすい急な上り下りが待っている。

右の画像は、西方寺の谷を出発して、阿弥陀堂越へ向かう峯入りの一行。阿弥陀越と言われる峠まで約1.1km。   (画像の撮影時間は、2時9分)

阿弥陀堂へのぼる急斜面に作られた
梯子は、僧侶達が事前に作ったもの。
朽ち果てる寸前の阿弥陀堂
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