懐かしく遠い想い出ですが、路線バスが私の地域を走り始めたのはいつ頃だったんでしょうね。
子どもの頃の道路は舗装など無く、水たまりの穴ができると砂利を入れて塞いでいました。
役場の人かどうかわかりませんが、道路の補修をしてまわる人がいて、毎日自転車で巡回していた様に思います。
自動車も時折通るトラックか三輪車だったように思います。
私の記憶はバスよりも鉄道ですね。
国東半島を半分ほどめぐる大分交通の軽便鉄道が現JR杵築駅から国東町まで走っていました。
国東半島の森林資源や農産物を都会へ運び出す交通手段だったのですが、貨車の合間をぬって客車も走っていました。
1961年の大水害で鉄橋が流され廃線となりました。
この鉄道の代わりとしてバスが走り始めたような気がしますが、定かな記憶ではありません。
母の実家へ行くには、我が村から歩いて1時間強の杵築まで出て。そこからJR杵築駅(軽便鉄道の始点)まで乗り、さらに歩いて20分程の道のりでした。
さあ、いつ頃我が村をバスが走り始めたんでしょうね。
よく見かける淡い黄色の地に濃い緑の線が引かれた大分交通のバスですが、自転車に乗ってどこへでも出かけていたのであまり乗った記憶はありません。
もちろんボンネットバスでした。
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さて、早速バスターミナルの探検です。
ナンバープレートをはずされ、現役を退いてのんびりと青空を見上げるバスもあります。
少々疲れたのか、エンジンカバーが開けられて整備中のバスもあります。
さっき追いかけて来たバスは、ドアが開けれていたので、こっそり乗り込んで中の様子を覗いてみました。
懐かしいビロード生地のシートに腰掛けて見ました。
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