目次へ 懐かしいトラバスを追いかけて
sub3-73   2006年5月3日        文字は、の等巾フォントでご覧ください。

豊後高田の町を走っていたら、警察署の橋
の方から懐かしい横シマ模様のバスが走って来
ました。
しばらく見かけなかったその模様に早速後を
追いかけると、バスは豊後高田のバスターミ
ナルへ私を連れて行きました。

そこにはあの○に大の大分交通バスが沢山並
んでいました。
早速車を降りて探検が始まりました。


懐かしく遠い想い出ですが、路線バスが私の地域を走り始めたのはいつ頃だったんでしょうね。
子どもの頃の道路は舗装など無く、水たまりの穴ができると砂利を入れて塞いでいました。
役場の人かどうかわかりませんが、道路の補修をしてまわる人がいて、毎日自転車で巡回していた様に思います。
自動車も時折通るトラックか三輪車だったように思います。

私の記憶はバスよりも鉄道ですね。
国東半島を半分ほどめぐる大分交通の軽便鉄道が現JR杵築駅から国東町まで走っていました。
国東半島の森林資源や農産物を都会へ運び出す交通手段だったのですが、貨車の合間をぬって客車も走っていました。
1961年の大水害で鉄橋が流され廃線となりました。
この鉄道の代わりとしてバスが走り始めたような気がしますが、定かな記憶ではありません。

母の実家へ行くには、我が村から歩いて1時間強の杵築まで出て。そこからJR杵築駅(軽便鉄道の始点)まで乗り、さらに歩いて20分程の道のりでした。

さあ、いつ頃我が村をバスが走り始めたんでしょうね。
よく見かける淡い黄色の地に濃い緑の線が引かれた大分交通のバスですが、自転車に乗ってどこへでも出かけていたのであまり乗った記憶はありません。
もちろんボンネットバスでした。

さて、早速バスターミナルの探検です。
ナンバープレートをはずされ、現役を退いてのんびりと青空を見上げるバスもあります。
少々疲れたのか、エンジンカバーが開けられて整備中のバスもあります。

さっき追いかけて来たバスは、ドアが開けれていたので、こっそり乗り込んで中の様子を覗いてみました。

懐かしいビロード生地のシートに腰掛けて見ました。

昔は無かった料金箱や停止の押しボタンが付けられています。
そっと押してみました。

さらに探検は続きます。
バスターミナルに向かうと、伊美や並石や松行や太田役場などいつもうろつく場所の行き先表示がありました。

こんどここからバスに乗ってみようと思います。
きっと、太郎天さんはここからバスに乗って伊美まで帰省されたんでしょうね。

小一時間懐かしいバスの間を走り回ってバスを眺めたり触ったりしました。
少し焼けたような軽油とオイルのにおいがたまらなく懐かしく感じました。

殆ど人のいないバスターミナルにもバスの発車時間になるとお年寄りが数人集まって来ました。
手には沢山荷物を持っていました。

現在、国東半島のバスは、東側を走る 国東観光バス と北部を走る 大交北部バス の2社が走っています。どちらも大分交通のマークを付けた大分交通です。