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susub3-51 2004年6月19日 |
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文字は中の等巾フォントでご覧ください |
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武蔵の吉弘川沿いを小ヶ倉までのぼり、安岐町の富清を経由して両子山に通じる県道である。その番号が松井秀樹の背番号と同じ55である。
今日は、その県道55号を走ってみた。
スタートは武蔵町だが、写真も撮らずに走り出した。途中、楽庭神社を過ぎたあたりで吉弘城跡の看板を見つけて狭い道路に入り込んだ。
3kmほど走ると吉弘城の跡に到着した。
看板と石碑のみ。
建武の頃(1334)吉弘氏初代又次郎正堅の築城とある。初代正堅は大友熊直の子、田原泰広の孫直貞次男。以降2百年あまり続いたと記されていた。 |
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ここから元来た道を戻ることをお勧めします。
私はどんどん先へ進みました。
結果は、武蔵町の志和利の上に出た。
途中車の巾とほぼ同じかどうかと思えるほどの道を右に左に悪戦苦闘を強いられた。
途中何度か車を停めて道ばたに咲くあじさいをカメラに納めた。
志和利の上に出た瞬間にホッと緊張の糸を緩めた。
途中で道でも踏み外せば誰も助けには来てはくれないほどの大自然環境を楽しんだ。
大自然を満喫できる道ではあるが、お勧め出来ないルートです。 |
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県道55号線再出発となりました。
どんどん国東半島の中心へ向かって車を走らせる。
小ヶ倉を過ぎて民家が途切れて鬱そうとした森の中の道となる。
その中に車を停めてエンジンを切った途端のに静粛の空間となる。
檜や杉が放つイオンと土の中の微生物が放つ微妙な匂いが心をしずめて行く。
ゆったりと谷へ下り行く風をウグイスが心地良い鳴き声で振動させる。
曇り空の下の森には柔らかい僅かな光しか届かない。
そんな僅かな光に美しい緑を放つ小さな植物の世界もあった。 |
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存分に森のイオンを吸い込んで、たまったストレスを昇華させた。
少し森の中に足を踏み込むと所々に石垣の跡が見える。たぶん以前は棚田が広がっていたのだろうと思う。
いつしか厳しい米作りをあきらめて杉や檜が植えられて森にしたようだ。
木々はあっという間に人間が築いた石垣を飲み込んでいく。
ふわふわとした木々の間の土が気持ちよかった。
その森を抜けると安岐町富清(三浦梅園旧宅のあるところ)。
ここから両子山までが県道55号線。・・今日はここまでとした。・・・いい気分です。 |
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