目次へ ・・・ 通勤路 ・・・・・・ sub3-18  2002・09・07

私の通勤距離は8.5km。
健康のためにと、時々会社からの帰路を歩くことにした。

会社のロッカー発18時5分。私服に着替え、裏門の階段を下って会社の外へ出る。

細いたんぼ道の両脇には今年も稲が実り、その緑は収穫に向かって徐々に薄らぎ、黄金色へと変化してゆく。今が一番きれいな色と思う。
緑と黄色の中間色で、私のもっとっも好きな色合いである。
せまい谷間の田んぼは先人が汗と希望で刻んだ歴史の遺跡かも知れないと思いながら歴史の流れを想像した。
少しばかりの坂を上ると、右手にキビの畑、左手にミカンの畑があり、キビは収穫時期を迎えて半分ほど刈り取られている。
残ったキビが西日に透かされて影絵の様ななシルエットを見せていた。
その畑の脇にイチジクの原種があり、小さなイチジクの形をした実を付けている。
茶色から黒く色が変わって熟した実を一つ摘んで口に放り込んでみると、子供の頃の記憶が舌の上によみがえった来た。甘くどろっとした懐かしい味だった。

自然豊かな小道を抜けると左手の角に小さな駄菓子屋があるのに気付いた。
入り口には木が茂り、その奥まった店は少しばかりの駄菓子が並べられており、かろうじて駄菓子屋と認識できる。店主も客の影も見えなかった。
薄暗い店内の裸電球に照らさた空間はやけに不思議に感じた。

そこを過ぎると左手の視界に西日をきらきらと反射する海が広がる。この景色に体を少し左にねじりながら見とれる。まだ強く照りつける西日とキラキラかがやく海の広がりにそろそろ終わりの夏を感じながら歩く。



正面の太陽に左手をかざして西方を眺めれば、薄く色を失いかけた遠くの山並みに我が家の近くの妙見山を捉えることが出来た。
ここから見る我が家は遙か遠くに感じる。

ガソリンスタンド前の信号を渡ると旧安岐商店街の中心部に出る縦道へ通じる。歩き始めた頃はここを下り、途中の小さな商店を発見した。
何度か歩くうちに田んぼの中の近見を発見した。コンクリートで簡便に舗装された細道は、急に下り田んぼの間を川沿いの道方向へさがって行く。
その途中には菊が栽培されているが、日照り続きでさっぱり成長が止まっている。手入れをしていた老婆は雨が降るのを待つしかないと諦め顔だった。


その畑の左手の大きく立派に枝を張った一本の大木がそそり立っている。

その根本に何かがあるのに気づいて近づいてみると、庚申塔まつられていた。

中央の青面金剛と2童子までは認識出きるがその他は風化が激しく確認できない。
たぶん3猿2鶏当たりが彫られていたのだろうと勝手な想像をしてみた。
田んぼの中の小道は、その脇を道に沿って水路が流れている。さらさらと心地良い水音をたてて水が下っていく。全く雨に見放されているのに豊かな流れがある。道沿いの田んぼには小豆と稲が植えられ、濃い緑と黄金色に色づきかけた稲のコントラストが青空の背景に生えて美しい。この風景を楽しみながら歩く。

坂を下りきったところでザクロとナツメヤシの木をみつけた。ザクロは実を少し赤紫に変えもうすぐ熟れる。ナツメヤシは鮮やかな青緑が美しい。
しばらくながめて甘酸っぱいナツメヤシの味を妄想した。



道脇の水路をのぞき込むと赤いカニが走り回っている。河口にほど近いここら当たりでよく見かけるカニだ。赤い甲羅に白く縁取られた特徴的な大きなハサミを振りかざしてちょこちょこと忙しく動く。私に気づくと大きなハサミを高く差し上げて威嚇し素早く近くの穴に逃げ込む。
穴から少しだけ覗いて、私が動かないとまた出てくる。動くものに反応するようだ。

何とも愛らしい奴らだが、みそ汁のだしにはならないだろうか?。


脇道もこれで終わり。安岐川沿いの県道に出た。河口から3から4百メートルくらいの所だろう。ここは、安岐町が七島イや畜産や林業で潤っていた
頃はそれを運び出す重要な道路だった。また、潤った地域へ生活物資や贅沢品を運び込む動脈でもあった。しかしながら今はその面影も薄らぎ、医院や商店の空き家が主を失って淋しくひっそりとたたずんでいる。この角の空き家も私の記憶では歯科医院だった。

ここからは車の通りが有り、のんびりと道の真ん中を歩けない。うしろから近づく車に注意を払いながら歩く。
安岐川の水に西日が反射して金色に輝く。その向こうには国東半島の山々が薄紫色に霞み、金箔で飾られた豪華な襖絵の如くきらびやかな風景を魅せる。この一瞬にしか見られないたった数分の贅沢な美を独り占めしながら、川面を伝って両子山からながれ下る爽やかなかぜを受けて歩く。満潮ならばボラが水面に跳ねてその水しぶきが西日に輝くのも美しいだろう。

川には多くの石積みが見られる。遡上する鰻を捕まえる罠だそうだが、私はこの漁を体験したことはなく、詳細は知らない。

こんな景色を楽しみながら歩いているとイチジクの香り空腹の私を刺激する。
昨日は気づかなかったが、道端にイチジクの木があり、大きな実が熟している。
イチジクは熟すと甘い香りを強烈に放つ。我が家にも大きなイチジクの木が3本あり稲刈りのおやつとしてずいぶんお世話になったが、子供が産まれた頃に、襲来するスズメバチを恐れて私が切り倒してしまった。今思えば残念な事をしたと反省する。
そのイチジクの木のそばの家の庭先で植木や花に水をやっているおばさんがいた。
「雨が降らないで大変ですね。」と声をかけると、「じゃーな。」と同感の意味で言葉を返してくれた。

いつもはこの家の隣で突然犬が私に吠えかかるのだが、今日は音沙汰なし。
犬小屋を遠目にのぞいてみたが中は見えない。吠えると憎らしいが、吠えないとなんだか心配になる。

そこを過ぎるといつもウインドウをのぞきたくなる「プロの道具屋」がある。大工道具や農具が並べられ、それらしき雰囲気を感じる。
その向かいは米屋。米屋の隣は精米所。平ベルトで駆動される精米器が薄暗い空間で動いているのが見える。
その隣は床屋の回転あめんぼうが回っているが、何処が床屋かはわかりにくい。きょろきょろと眺め回しては見たが所在不明。
その先には道路から石垣で持ちあげた上に住宅が1軒あり、その庭先に大きな榎木が石垣に根を差し、石を力強く掴んでいる様に見える。

植物は逞しい。台風で倒れてしまわないことを願いたい。
ここまで来ると安岐川と道路は少し離れて、川と道路の間には水田が広がる。
やや黄色くなった稲を海原のようになびかせて通り過ぎる風はワールドカップサッカーで見たウエーブのようだ。
その先の土手脇にはこの頃建てられた安岐町の下水浄化センターが見える。

時折通るタクシーが歩いている私を見つけて速度を落とす。あわよくば客にしようと私を覗くが、知らん顔をしてさっさと歩く。

以前、ここらあたりは佐藤アパート1軒だけだったが、今は数件のアパートが道の両側に建ち以前とは大きく風景が変わった。そんな理由もあり、車の通行は思いの外多いと感じる。

立派な石垣の元には小さな黄色い花が通る人々や車を見上げている。
その黄色に目を奪われて立ち止まると、そのそばには鐘楼バッタが隠れていた。靴で脅すと跳ねて道路の向こうの田んぼへ逃げっていった。
思えば小学校の帰りのもこんなところで引っかかっていた。
次の曲がり角にはパン屋の「たまや」がある。この地域唯一のパン屋さんで、つい昨年まではここだけで商売をしていたが、今は空港近くに製造工場兼販売店を出して、本家本元はひっそりとしている。一時のパンブームの時は競ってここのパンを買いに来たそうだが、田舎のパン屋がどれほどだったかは知らない。
そこの角を過ぎると数百メート
ルの直線が続く。その起点の左
側は消防団詰め所。その隣が立
派な御影石の門柱がそびえ立つ
白い洋館があり、この家の庭に
は少しばかりのんびり気性の白
い犬が寝そべっている。私がそ
の前を通っても見て見ぬ振様子
で寝たふりをしているが、薄目
で私の方を見ているのはわかっ
ている。
少し家がとぎれたところに荒れた畑があり、猫じゃらしに覆い尽くされている。
猫じゃらしの穂が傾いた西日に透かされて不思議な風景を見せている。その遠望には私がめざす妙見山が見える。

直線路の真ん中あたりの右手に読売新聞の販売所。私が国東半島に戻った頃は読売新聞だったが、私の住む地域で私の家だけが読売新聞となり、配達が出来なくなったと断ってきた。それ以来毎日新聞である。
その隣はこの地域には珍しいお茶屋さん。もちろん急須に入れてお湯を注いで香りとのどごしを味わうお茶である。看板にはかの有名な鹿児島の知覧茶とある。この店のウインドウというか出窓というか迷うが、ガラス張りの出っ張りには古くさびた茶釜が一つ飾られている。由緒も風格も感じる代物では無さそうだが、中途半端な古さとほこりっぽさを感じる。まさかぶんぶく茶釜では無いとは思うが。・・

そんなろくでもないことを思いながらしばらく立ち止まって眺めていると下校中の中学生に「こんにちは」と声をかけられて慌てて作り笑いをして歩き出した。


花壇には枯れはじめたヒャクニチソウがカサカサと風に揺れながら天を見上げている。

少し歩くと右側の家の壁に小さな祠が造りつけてあり、その中には握りこぶし大の地蔵さんが納められている。通りに面していることもあり土埃をかぶった祠もこの家も乾ききった感じがしていた。なぜこのような場所に地蔵を祀ったか知る由もないが、乾いた景色の中に暖かみと潤いを感じた。



この地蔵さんを写真に納めて歩き始めた途端クラクションに振り返ると、国東観光の定期バスが迫ってくる。慌てて空き地に避けてバスを見るとお客さんは2人だけだった。こんな狭い道路を、たった2人のお客を運ぶのには少しばかり大きすぎるバスではと思う。せいぜい9人乗りのマイクロバスで良いんじゃないかと呟きながらバスの後ろを目で見送った。

私が避けた場所はタクシー会社の駐車場だった。先日は夜食の支度や洗車やらと賑やかな光景を目にしたが、今日はひっそりとしていた。

太陽もだいぶ西に傾き、地球の塵と大気層の厚さで短い波長の光線が吸収されて、赤く柔らかい光になって行く。すっかり赤くなった太陽は遠望の峯の上に大きく浮かんで、まるで映画のラストシーンを思わせる。

少しばかりくたびれて来た足の重さを感じながら真っ赤な太陽を追いかけて歩く。浄國寺の裏にそびえる老木の榎木が西日にシルエットで映りサバンナの中にそびえる大木のように見える。その上の空には細くシャープな上弦の月が白い姿を見せている。
よく見ると金星が輝きはじめているのも確認できる。その様子に見とれ、限りない空想が頭に拡がって行く。
空は限りなく広く深い。

道端の畑にはニガウリの棚があって、たくさんのニガウリがぶら下がっている。中には黄色く熟れて今にも落ちそうなものもある。そのニガウリの棚の下には赤く色付いたピーマンと、そろそろ終わりかけた茄があるる。

少しばかり汗を流して、少しばかり足の重さを感じて歩いていると、前から来る中学生に大きな声で「こんにちは」と声をかけられる。その声にハッとして、負けじと大きな声で「こんにちは」と返す。逞しく輝く顔は皆元気がみなぎっている。この先に安岐中学校があり、クラブ活動の帰りの生徒だろう。私のもこんな時代があったことを思いおこし、娘や息子の中学時代も思い出した。

NTTの無人中継所を過ぎた先の空き地に使い切った自動車が積み上げれている。塗装が剥がれて赤茶け、ウインドウガラスは粉々に砕けている。
工場で生まれて時はピカピカの輝きと接着剤の真新しい臭いがしていただろう車たちも人々の生活を豊かにする手伝いを一生懸命して、その使命を全うしたのだろうか、あるいは不幸な事故で短い一生となったのだろうか。
一つだけ新しいテンパータイヤが強いコントラストを放っていた。

その先には小さな自動車屋がある。一応ショーウインドウがあり、小さなかわいい黄色い軽自動車が飾られているが、誰も気に留めるほどのインパクトはない。その脇の広場にはアサガオの立派な垣があり、真っ白な大輪のアサガオがたくさんの花を付けている。

ここらには中学時代の同級生の家がある。名前は井上さんだったが、下の名前は思い出せない。お父さんが先生で、何度か顔を見たことがある。偶然にもその先生のお孫さんが私の長男と同級生で、何度か我が家へも遊びに来ていた。

太陽はどんどん傾き、いつの間にか小川商店街の家並みに隠れてしまっている。

右手に「おかのインテリア」の看板を掲げた小さな建物が見える。噂では私の同級生だった小俣さんの嫁ぎ先だそうで、時折彼女を見かけることを聞き及んでいた。いつもはこの時間には電気が消えているが、今日は明かりが見える。通りすがりにさり気なく中の様子を見ると見覚えのある顔が確認できた。小俣さんは双子の姉妹がおり、私もどちらがどちらだか見分けがつかない。果たしてどっちだろうと思いながら声を掛けられずに通り過ぎてしまった。

ここからは小川商店街。安岐町で最もに賑わった商店街であった。
今はすっかり寂れて、昔の面影は殆ど感じることは出来ない。
夕暮れ時のこの時間に人通りは殆どない。下校途中の中学生が時折通り過ぎる程度である。

私が子供の頃は映画館も2軒あり、パチンコ屋さん、洋品店、時計屋等々、一通りの生活必需品が到達でき、ある程度の娯楽さえも可能であった。時の流れは人の流れを変え、経済の風も吹き抜けていったらしく、今は当時の家並みを残すのみとなってしまった。

そんな寂しさを感じながら商店街へと進んできた。私が子供の頃にお世話になった川添医院も今は空き家となっている。2軒の電気屋さんも肉屋さんも店を閉じている。
電気屋さんのショウウインドウには古ぼけたデザインの電気釜が取り残されている。
郵便局を過ぎて左手にバイク屋さんが今も営業を続けている。店先には遠に使命を終えたオートバイが置き忘れられている。赤茶けた錆を流して、今にも溶けてしまいそうな寂しさを放っている。店の中には新しい組立途中のバイクが一台置かれ、傾いた蛍光灯にかがやいていた。店先には5、6台の中古を遙かに通り過ぎたバイクが置かれ、土埃をかぶっている。売れる商品とは店主も思ってはいないだろいうが、唯一これがバイク屋を知らせてくれる。
ここまでの目標が45分。今日は5分ほど余裕である。足の具合も特に問題は無い。

JAの駐車場をショートカットして左に道をスイッチする。数年前に新しく架けられた新中園橋を渡りながら、上流の両子さんに目を向けると、しずみかけた夕が真っ赤な夕焼けの空を作り、その赤を安岐川の水面に映して柔らかくあたたかな風景を見せていた。
欄干にもたれて暫くこの風景を楽しみ、川面を吹き下る風に汗を乾かした。

橋を渡ると安岐中学校、右手が安岐町役場。茜色に染まる空に白く引かれたヒコーキ雲を見上げながら我が家を目指してスピードを上げる。
トラクターが畑を耕し、ポンプが乾ききった田んぼに水を汲み上げている。
それに負けじとヒグラシやコオロギが夕暮れの中で止まりかけた空気を振るわせる。
老人福祉施設の「やすらぎ」過ぎると、少しずつ登りになる。

ここまで約一時間を刻んだ足は私の体重を少しばかり重荷に感じながら我が家への歩を刻み続ける。
JA南安岐支所を過ぎて、南安岐小学校まで来ると気持ちは我が家へ帰り着いた様にほっとする。片山さん家、浄泉寺、舟道、お地蔵さん、じょんこし、妙見山、突き土手、ずーとのぼり坂の2kmほどは小学校へ毎日通った道。

あっという間に我が家へ着いていた。

約8.5km。1時間20分。いい汗が体中から吹き出して、気持ちいい風の爽やかさを感じた。