ここまで来ると安岐川と道路は少し離れて、川と道路の間には水田が広がる。
やや黄色くなった稲を海原のようになびかせて通り過ぎる風はワールドカップサッカーで見たウエーブのようだ。
その先の土手脇にはこの頃建てられた安岐町の下水浄化センターが見える。
時折通るタクシーが歩いている私を見つけて速度を落とす。あわよくば客にしようと私を覗くが、知らん顔をしてさっさと歩く。
以前、ここらあたりは佐藤アパート1軒だけだったが、今は数件のアパートが道の両側に建ち以前とは大きく風景が変わった。そんな理由もあり、車の通行は思いの外多いと感じる。
立派な石垣の元には小さな黄色い花が通る人々や車を見上げている。
その黄色に目を奪われて立ち止まると、そのそばには鐘楼バッタが隠れていた。靴で脅すと跳ねて道路の向こうの田んぼへ逃げっていった。
思えば小学校の帰りのもこんなところで引っかかっていた。
|
次の曲がり角にはパン屋の「たまや」がある。この地域唯一のパン屋さんで、つい昨年まではここだけで商売をしていたが、今は空港近くに製造工場兼販売店を出して、本家本元はひっそりとしている。一時のパンブームの時は競ってここのパンを買いに来たそうだが、田舎のパン屋がどれほどだったかは知らない。 |
|
そこの角を過ぎると数百メート
ルの直線が続く。その起点の左
側は消防団詰め所。その隣が立
派な御影石の門柱がそびえ立つ
白い洋館があり、この家の庭に
は少しばかりのんびり気性の白
い犬が寝そべっている。私がそ
の前を通っても見て見ぬ振様子
で寝たふりをしているが、薄目
で私の方を見ているのはわかっ
ている。 |
|
少し家がとぎれたところに荒れた畑があり、猫じゃらしに覆い尽くされている。
猫じゃらしの穂が傾いた西日に透かされて不思議な風景を見せている。その遠望には私がめざす妙見山が見える。
直線路の真ん中あたりの右手に読売新聞の販売所。私が国東半島に戻った頃は読売新聞だったが、私の住む地域で私の家だけが読売新聞となり、配達が出来なくなったと断ってきた。それ以来毎日新聞である。 |
|
その隣はこの地域には珍しいお茶屋さん。もちろん急須に入れてお湯を注いで香りとのどごしを味わうお茶である。看板にはかの有名な鹿児島の知覧茶とある。この店のウインドウというか出窓というか迷うが、ガラス張りの出っ張りには古くさびた茶釜が一つ飾られている。由緒も風格も感じる代物では無さそうだが、中途半端な古さとほこりっぽさを感じる。まさかぶんぶく茶釜では無いとは思うが。・・
そんなろくでもないことを思いながらしばらく立ち止まって眺めていると下校中の中学生に「こんにちは」と声をかけられて慌てて作り笑いをして歩き出した。 |
|
|
|
花壇には枯れはじめたヒャクニチソウがカサカサと風に揺れながら天を見上げている。
少し歩くと右側の家の壁に小さな祠が造りつけてあり、その中には握りこぶし大の地蔵さんが納められている。通りに面していることもあり土埃をかぶった祠もこの家も乾ききった感じがしていた。なぜこのような場所に地蔵を祀ったか知る由もないが、乾いた景色の中に暖かみと潤いを感じた。
この地蔵さんを写真に納めて歩き始めた途端クラクションに振り返ると、国東観光の定期バスが迫ってくる。慌てて空き地に避けてバスを見るとお客さんは2人だけだった。こんな狭い道路を、たった2人のお客を運ぶのには少しばかり大きすぎるバスではと思う。せいぜい9人乗りのマイクロバスで良いんじゃないかと呟きながらバスの後ろを目で見送った。
私が避けた場所はタクシー会社の駐車場だった。先日は夜食の支度や洗車やらと賑やかな光景を目にしたが、今日はひっそりとしていた。
太陽もだいぶ西に傾き、地球の塵と大気層の厚さで短い波長の光線が吸収されて、赤く柔らかい光になって行く。すっかり赤くなった太陽は遠望の峯の上に大きく浮かんで、まるで映画のラストシーンを思わせる。
少しばかりくたびれて来た足の重さを感じながら真っ赤な太陽を追いかけて歩く。浄國寺の裏にそびえる老木の榎木が西日にシルエットで映りサバンナの中にそびえる大木のように見える。その上の空には細くシャープな上弦の月が白い姿を見せている。
よく見ると金星が輝きはじめているのも確認できる。その様子に見とれ、限りない空想が頭に拡がって行く。
空は限りなく広く深い。
道端の畑にはニガウリの棚があって、たくさんのニガウリがぶら下がっている。中には黄色く熟れて今にも落ちそうなものもある。そのニガウリの棚の下には赤く色付いたピーマンと、そろそろ終わりかけた茄があるる。
少しばかり汗を流して、少しばかり足の重さを感じて歩いていると、前から来る中学生に大きな声で「こんにちは」と声をかけられる。その声にハッとして、負けじと大きな声で「こんにちは」と返す。逞しく輝く顔は皆元気がみなぎっている。この先に安岐中学校があり、クラブ活動の帰りの生徒だろう。私のもこんな時代があったことを思いおこし、娘や息子の中学時代も思い出した。
NTTの無人中継所を過ぎた先の空き地に使い切った自動車が積み上げれている。塗装が剥がれて赤茶け、ウインドウガラスは粉々に砕けている。
工場で生まれて時はピカピカの輝きと接着剤の真新しい臭いがしていただろう車たちも人々の生活を豊かにする手伝いを一生懸命して、その使命を全うしたのだろうか、あるいは不幸な事故で短い一生となったのだろうか。
一つだけ新しいテンパータイヤが強いコントラストを放っていた。
その先には小さな自動車屋がある。一応ショーウインドウがあり、小さなかわいい黄色い軽自動車が飾られているが、誰も気に留めるほどのインパクトはない。その脇の広場にはアサガオの立派な垣があり、真っ白な大輪のアサガオがたくさんの花を付けている。
ここらには中学時代の同級生の家がある。名前は井上さんだったが、下の名前は思い出せない。お父さんが先生で、何度か顔を見たことがある。偶然にもその先生のお孫さんが私の長男と同級生で、何度か我が家へも遊びに来ていた。
太陽はどんどん傾き、いつの間にか小川商店街の家並みに隠れてしまっている。
右手に「おかのインテリア」の看板を掲げた小さな建物が見える。噂では私の同級生だった小俣さんの嫁ぎ先だそうで、時折彼女を見かけることを聞き及んでいた。いつもはこの時間には電気が消えているが、今日は明かりが見える。通りすがりにさり気なく中の様子を見ると見覚えのある顔が確認できた。小俣さんは双子の姉妹がおり、私もどちらがどちらだか見分けがつかない。果たしてどっちだろうと思いながら声を掛けられずに通り過ぎてしまった。
ここからは小川商店街。安岐町で最もに賑わった商店街であった。
今はすっかり寂れて、昔の面影は殆ど感じることは出来ない。
夕暮れ時のこの時間に人通りは殆どない。下校途中の中学生が時折通り過ぎる程度である。
私が子供の頃は映画館も2軒あり、パチンコ屋さん、洋品店、時計屋等々、一通りの生活必需品が到達でき、ある程度の娯楽さえも可能であった。時の流れは人の流れを変え、経済の風も吹き抜けていったらしく、今は当時の家並みを残すのみとなってしまった。
そんな寂しさを感じながら商店街へと進んできた。私が子供の頃にお世話になった川添医院も今は空き家となっている。2軒の電気屋さんも肉屋さんも店を閉じている。
電気屋さんのショウウインドウには古ぼけたデザインの電気釜が取り残されている。
郵便局を過ぎて左手にバイク屋さんが今も営業を続けている。店先には遠に使命を終えたオートバイが置き忘れられている。赤茶けた錆を流して、今にも溶けてしまいそうな寂しさを放っている。店の中には新しい組立途中のバイクが一台置かれ、傾いた蛍光灯にかがやいていた。店先には5、6台の中古を遙かに通り過ぎたバイクが置かれ、土埃をかぶっている。売れる商品とは店主も思ってはいないだろいうが、唯一これがバイク屋を知らせてくれる。 |