目次へ ・・・ 香々地町堅来/小池地区 ・・・・
 2001年3月  sub3-09

国道沿いの空き地に車を止め、小さな川伝いの路地へと歩を進める。

ブロック塀の上に背中を丸めた猫が首を持ち上げてこっちを見ている。私が近づくと、猫はブロック塀の上を、まるで私の道案内の様に進んで行く。

緩くカーブしたブロック塀が切れると、腰を曲げた老婆が老人カーを押しながらこちらへ向かって来る。
軽く会釈をすると、にこやかに応えてくれた。

ふと気が付くと、猫はどこかへ消えていた。
私は未知の空間へ迷い込んだ。その興奮に胸の鼓動が高まるのをおぼえた。

ふと足下に目をやると、路地と庭の隙間に水仙やビオラの花が植えられ、私の目を奪う。その花の向こうに、はっとする空間が迫る。

私が子供の頃に遊んだ風景そのままの土壁の手前に、小さなサクランボの木が薄ピンクの花を満開にしている。きっと6月にはサクランボが実り、子供とヒヨドリが甘酸っぱい味覚を楽しむであろう。

土壁は剥がれ落ちかかり、今にも崩れ落ちそうなこの家には主はいない。

さらに歩を進め、小さな橋を渡ると、川向こうにそびえ立つ銀杏の木が目に飛び込む。その木の下に小さなお堂と石造りの灯籠が並ぶ。ほんの少し道を戻り、家の庭の前の路地伝いに畑の畦を上り、小さなお堂を目指す。

お堂に通じる道はまるで迷路の様に、平均台のように、不安と期待が交差する。

近頃すっかり目にすることの無くなったネコヤナギが私の足をやさしくなでる。気が付くとお堂の前の広場にたどり着いていた。

お堂の前には「ダルマ堂」と書かれており、ご本尊は別の場所で管理されている事をしるしていた。

ダルマ像の背中には十字架が彫られていたそうだ。隠れキリシタン信仰の象徴であったのだろうか。
この空間の中心がお堂だろう。全く遠心力を感じない、居心地の良い空間である。お堂を中心に小さな宇宙空間が回転している。
ブロック塀の曲がりも、猫の背中の湾曲も、道で会った老婆の曲がった背中も、空間の回転による歪みでは無いだろうか。不思議な空間をゆっくりと遊泳した。気持ちよい汗を感じながら。どこかで会えることを期待したネコヤナギにも出会えた。この空間の居心地の良さにずーっと遊泳していたいと思う。思いとは裏腹に、回転の遠心力に押し出されてゆく。元来た道を押し出されてゆき、心地よい遊泳が終わった。また来たい。多くの人に体験して欲しい。こんな空間が、こんな宇宙が国東の至る所に存在する。・・国東半島は宇宙空間かもしれない。・・