sub3-b1 2014/03/01 奈多行幸会道を歩く−2


本宮八幡社
8時半田染の本宮前集合としたが、桃の木峠あたりで倒木や倒竹があって少々遅刻した。前日の雪の影響だろう。

7分ほど遅刻して到着。すでに大日向さんが待ちわびた様子で迎えてくれた。

朝のご挨拶を交わして・・・出発!

集合写真を撮ったが、ややブレていた。コンパクトは難しい。
本宮社は、古い文献には、田染八幡社と書かれている。


本宮八幡について多少書いておきましょう。

御祭神は・・・

多紀理毘賣命(たごりひめのみこと)・・宗像三女神の一柱、日本書紀では田心姫(たごりひめ)。別名奥津島比売命(おきつしまひめ)。日本書紀第三の一書では、別名市杵嶋姫(市寸島比売・いちきしまひめ)。

譽田別命(ほむだわけのみこと)=應神天皇こと八幡大神

息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)=神功皇后

足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)=仲哀天皇

大鷦鷯尊(おほさざきのみこと)=仁徳天皇

弟日賣命(をとひめのみこと)

大葉枝皇子命(おほはえのみこのみこと)
小葉枝皇子命(をはえのみこのみこと)

根鳥皇女命(ねとりのひめみこのみこと)

武内宿禰命(たけうちすくねのみこと)

猿田彦大神(さるたひこおほかみ)

八重事代主神(やゑことしろぬしのかみ)

田染元宮八幡社は、平安時代後期以前に田染(たしぶ)郷に宇佐神宮の荘園「田染荘」が成立した時、「田染郷の鎮守」として宇佐神宮から勧請したと伝えられる。

御祭神の一つに田心姫命が単柱でお祀りされている。一般的には、宗像三女神として三神を祀る。

当初は、比賣大神の田心姫命・湍津姫命・市杵嶋姫命の三柱ともお祀していたが、観応2年(1351年)、当時の神主だった重輔郷司民部左衛門爵景永に神託があり、湍津姫命(たぎつひめのみこと)を田染間戸に遷座し「二宮」(二宮八幡社)と称し、市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)を田染稲積に遷座し「三宮」(三宮八幡社)と称し、三社合わせて『 田染三社 』としたと伝えられる。


なぜ?真の理由は定かでは無いが、干ばつに苦しむこの地域の水争いを防ぐため、それぞれの地域の水源近くに社を設け、それぞれの神を分けて祀ったのではとの説もある。

本宮には、干ばつの時に雨乞いをする様子が書かれた大きな絵馬がある。





上野の山道の始まり
大分県の調査報告には、田染の八幡社を出立。参道を直進して沈橋(流失、今なし)を渡り、田染中学校の横を通って見世地区を経由し、相原川を渡る。・・・とある。

私たちは。本宮の八幡様に今日の安全をお願いし、境内を出て、県道655号線を北に歩き、程なく左折して県道34号線歩いて桂川を渡った。

安養寺を過ぎ、見世、相原を過ぎ、相原川を渡り100m程の所から左(東)へ細い山道に入る。
道は、大変荒れており、獣除けの高圧電線が引かれている。電線を避けながら、上野台を右巻きに東南へ進む。新池の放水路沿いにややのぼって行く。途中、先日の雪の影響か、竹が道を塞ぎ、やむなく林の中を迂回して金福寺池にたどり着いた。

折角だから、金福寺に寄ってみた。境内は紅白の梅の花が満開で良い香りを放っていた。お寺の跡には小さなお堂が建てられ、その周りには墓や庚申塔などが多数並んでいる。




金福寺跡のお堂

金福寺跡のお堂内部

仏塔

庚申塔、石祠

金福寺跡