宇佐神宮に関する昔の行事に行幸会と称する催事がある。
今日は、遠くに廃れてしまった、この奈多行幸会の道をたどって歩いてみようと、10人が集まった。
参考とした資料は、大分県教育委員会作成の“大分県文化財調査報告第六十輯「歴史の道」調査報告 奈多行幸会道”並びに、“豊後国東郡奈多村亀山鎮座 八幡奈多社詳細記 中巻” の写し。この写し(写本)は、東国東郡(現国東市)安岐町下原 中尾彌三郎氏によるもの。豊後高田市の綾部栄徳先生にご提供いただいた。
まずは、この行幸会なるものを多少説明しておこう。
行幸会は、室町時代に始まった宇佐八幡の最大盛儀。
宇佐八幡の御験とする薦の枕を卯酉の年、6年に一度薦社のマコモで新造される。この御験となる薦の枕を田笛社、鷹居社、瀬社、泉社、乙梼ミ、大根川社、妻垣社、小山田社を巡行して、宇佐神宮の上宮へ着御される。古いご御験は、下宮に移され、下宮の古い御験は、奈多八幡へと納められる。この御験の奈多八幡宮まで運ぶ行為を奈多行幸会と称する。
奈多行幸会の規模は、減少して八百人とある。(八幡奈多社詳細記中巻)
旅程は、宇佐八幡下宮の馬場をスタートし、3泊4日から5泊6日にわたる。道筋は、宇佐八幡神領、宿泊地等は宇佐八幡と関係の深い地と記している。(大分県教育委員会調査報告書)
この宗教儀礼は、元和二年(1616年)を最後としている。 |
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朝8時半、今日のゴール地点である田染本宮近くの公民館に集合。参加者は、「みほとけウォーク」より事務局長含め4名、国見より、山本さんと吉田さんと大日向さん、安岐より私と宮崎さん、杵築より佐藤さん、それから私の計10名。
ここから、3台の車に乗り合わせて、16km地点の白鳥神社へ移動し、途中のレスキュー用としてここへ車を1台置き、宇佐神宮へ向かった。
9時宇佐神宮球場駐車場へ到着。奈多行幸会のスタートが、下宮の馬場とあるので、そこまで移動する。折角のチャンスだから、・・・と言うことで、少し境内を歩いて、上宮へ参拝して・・と言うことになった。
まずは、頓宮(宇佐祖神社)へお参りし、宇佐の神である応神天皇が顕現したとされる菱形池に架かる橋を渡り、水分(みくまり)神社、御霊水の井戸を巡った。 |
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能楽堂裏より、宇佐神宮の上宮が鎮座する亀山へと石段をのぼると地主神である亀山神社が祀られている。
上宮への中央参道に出て、若宮神社(応神天皇の子にあたる大鷦鷯命(おおささぎのみこと:仁徳天皇)、大葉枝皇子(おおばえのみこ)、小葉枝皇子(こばえのみこ)、隼別皇子(はやぶさわけのみこ)、雌鳥皇女(めとりのみこ)を祀っているとされる。)前を通り、上宮へと参道をのぼる。
正月三が日は開いていた上宮への中央門は、閉じられている。その両脇の開かれている門をくぐって上宮の境内へと足を踏み入れる。ご神体が楠の八子神社にお参りし、上宮の三~へ今日の安全を祈願した。
石段を上がり、三之御殿左脇(神功皇后の脇殿)には、神功皇后に数々のご神威を与えられた住吉大神が祀られている。住吉神社とは、住之江三神(すみのえさんじん)の事。
表筒之男命(うわつつのおのみこと)
中筒之男命(なかつつのおのみこと)
底筒之男命(そこつつのおのみこと) |
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宇佐神宮上宮 |
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さて、下宮へ下り、下宮の左端に祀られている大神神社に手を合わせ、下宮の三神へお参りして、今日の奈多行幸会のスタート地点である馬場へ向かう。
馬場手前に春宮神社(とうぐうじんじゃ)が祀られている。御祭神道稚郎子命(うじのわきのいらつこのみこと) 。応神天皇の御子神で、勉学に励み寵愛されていたが、兄の鷦鷯命に皇太子の座を譲った。学問の神。脳味噌の劣化防止に御利益あれと頭を下げる。
多少寄り道がすぎて、予定のスタート時間が食い込んだ。まあ、本番の奈多行幸会では無いので気楽な気持ちで行こう。
実際の奈多行幸会は、前日より宇佐神宮へ出向き、御験を受け取り、一夜を過ごしてとある。おもしろい記述は、宇佐の盗賊に金品を盗られないように寝ずの番を立てたとある。
今日は、手ぶらの奈多行幸会、盗られる物も落とす物も無い。 |
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下宮 |
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春宮神社(とうぐうじんじゃ) |
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黒男神社(くろお神社:武内宿禰神) |
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