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下宮裏手の馬場から、まっすぐに参道を下り、大鳥居をくぐり出て、黒男神社から右手に折れる。
宇佐神宮球場を脇を通り、突き当たりを左折して橋を渡り、国道10号線に出る。この間にも見所があった。
橋を渡ってすぐの左手に神道系の庚申塚がある。
神道系の庚申塔で、石祠に納められ、猿田彦神の文字が刻まれていた。
庚申信仰(こうしんしんこう)とは、中国道教の説く「三尸説(さんしせつ)」に始まったが、密教・神道・修験道と信仰され、神仏習合の流れの中で、猿(申・猿田彦)を共通項にした新たな信仰へと変化している。宇佐神宮に近いことから、神道系の庚申塔なのであろう。庚申塔が石祠に納められているのは珍しい。
さらに、その先の右手の畑には、説明書きの札が立てられた野菜が作られていました。これって結構おもしろい。私も真似をしてみたくなる。 |
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石祠に納められた庚申塔 |
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大根にたてられたの標識 |
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国道10号線を右に折れて、のどかな田んぼの中を東へと歩く。麦が青々と芽吹いて、冬枯れた景色の中の田んぼに美しい模様を描いている。
その向こうには、宇佐神宮の三女神が降臨したとされる御許山が見える。
やや暖かすぎる気温に汗ばみながら、気持ちイイ行軍。
青い空を見上げて、青々とした麦の田んぼを眺めて、奈多行幸会の道を10人の隊列が進む。
やがて、橋津の町中へとたどり着く。寺や豪商の屋敷らしき古い建物の並ぶ懐かしい町並みがすばらしい。
ふと見れば、なにやらおいしそうな物が並ぶ歴史ありそうな饅頭屋さんを見つけて暖簾をくぐる。明治天皇に献上した銘菓の製造店のようだ。小腹も空いたので、ボーロを買い求めた。 |
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火の見櫓の残る橋津の風情 |
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清月堂の店内 |
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清月堂のボーロを頬張りながら寄藻川を渡る。橋の無い時代の奈多行幸会御一行はどのようにして寄藻川を渡ったのだろうか?
そんなことより、空いた小腹にボーロがうまい。御一行が通った頃に清月堂はあったのだろうか。
10人の御一行は、清月堂のボーロをパクつきながら寄藻川を難なく渡って、川沿いに下流へと下る。
民家の庭先にたわわに実るキンカンにも気をとられながら歩くと、程なくのところに寄藻川を背にして地蔵堂がたっていた。
中をのぞくと、10体のお地蔵様が祀られている。さて、このお地蔵様は何を護っておられるのだろうか。 |
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地蔵堂 |
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地蔵堂の裏手から伸びる謎の水路 |
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地蔵堂の裏手から用水路のような仕掛けが伸びている。さて、何かな?
この用水路は、各家々の入り口で、地中に潜り、また地上に現れる。道の向こう側へも一度地面に潜って、道の向こうで地上に姿を現す。なかなか凝った作りの用水路である。この頃つくったんでしょうね。
たくさんの見所を楽しみながら、歩く。コンクリートの上を歩くと足が疲れるとかなんとかモンクを言う連中も、見所の多さにそんなことはどこかへ忘れてきたのだろう。
足の疲れは気持ちの問題のようですね。
そんなわけで、いつの間にか再び国道10号線に出た。ここは、豊後高田への入り口。 |
宇佐市岩崎交差点より振り返る(左手の道よりここへ至る) |
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