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鬼が城入り口の案内板 |
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スタート9時6分 |
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午前9時に金ヶ峠を経由して赤根と夷を結ぶ林道の「鬼ヶ城入り口」で待ち合わせした。だいぶくたびれた案内板が置かれているが、いつまで持つのかやや心配である。
私は、8時40分に到着した。程なく大日向さんが到着。既に朝の仕事を終えて来たとの事。いつも元気な72歳である。
15分程して2台の軽トラックで有永さん、堀田さん、山本さんが到着。早速準備を整えて9時6分出発。
鬼ヶ城を既に訪れた事のある山本さんの案内かと思いきや、やはり先頭は隊長の大日向さんとなった。鬼ヶ城に通じるルートには「鬼ヶ城」と書かれて杭が立てられている。それを見逃さなければ迷う事はない。 |
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まあまあの急斜面をジグザグに杭が案内してくれる。時折杭を見落として探す我々を置いてきぼりに大日向会長はどんどん登って行く。
昨夜の雨でズルズルの斜面で悪戦苦闘する我々だが、大日向会長はそんな様子も見せない。靴の裏にピンでも生えているのだろうか。
9時32分に平坦な場所に到着。そこには石の祠が祀られていた。皆で祠に刻まれている文字の解読を試みるが???
撮影して後で解読しようと試みたが、・・願主・・のみかろうじて読めたが、残りは?芳本先生に教わった、天花粉(ベビーパウダー)を叩き塗れば文字が読みやすくなるとうかがったので、次回試してみよう。山本さんは解読出来たかな? |
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鬼が城下へ到着 |
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大きな岩の間を登って行く |
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9時50分鬼ヶ城へ到着した。44分の行程。
鬼ヶ城とは(林道の入り口に立つ案内書きを転記)
鬼が城伝説
鬼が城は紀新太夫行平(きしんだゆうゆきひら)の鍛刀の地と伝える。行平は香々地町夷に生まれ育ち父定秀に鍛刀の術を学び、諸国に修行し三十八歳の頃にはその名は日本国中に知れわたった。故あって上野国刀祢(とね)庄に配流されたがそこでも刀を打ち続けた。
正治二年十六年間の流刑を赦されて豊後国に帰った。その時は鬼籠(きこ)で鍛刀し暫くして野田に移った。承元二年後鳥羽上皇から御番鍛治に召された。晩年夷に帰ってきた。齢七十に近くなお矍鑠(かくしゃく)としていた。唯ひとり鬼が城に籠って完全無欠な刀を打ちあげた。杉林の中を登っていくとひときわ大きな岩がある。そのわれ目を入ると洞窟となっている。そこで行平が鍛刀したと伝える。 |
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こんなに広い空間です |
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はい出すのも大変 |
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鬼が城には、金クソ(鉄を焼いて鍛えるときに出るカス:スラグ)も発見されていると聞くが、この場に立つと、なんでこんな不便な処で?とも思う。また、刀は一人では鍛えられない。弟子はどうしたのだろう等々、凡人の脳味噌が疑りの微弱電波を発しはじめる。
暫く、大きな石でつくられた広大な空間でそれぞれの妄想を展開しながら楽しんだ。それにしても、こんな山の天辺にこんな大きな石や空間がある事に驚く。
この空間をはい出して、天井を覆っている大石の天辺へと登る。ここから眺めれば、先ほど通ってきた金ヶ峠のガードレールや尻付山やハジカミ山などが、ガスに煙ってシルエットに見える。
途轍もない大きな自然の上に乗っかって絶景をしばし楽しむ。 |
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