T-3d 国東半島峯道ロングトレイル T-3 を歩く 2015/1/11

太宰官内誌に・・・堂の前に車橋あり橋の西の傍に水の中わたり二間余高さ四間余の石たてり是に不動ノ像を切付ヶたり左右にコンガラセイタカの二佛あり・・・

天念寺不動種子石碑
不動明王の種子(カーン)を書いてみた。こんな感じだったのだろうか?

身濯神社(みそそぎじんじゃ)
天念寺の講堂と本堂に挟まれた場所にある身濯神社は、明治の神仏分離以前は六所権現とよばれていた。八幡神と関わりの深い神々が祀られており、長岩屋の鎮守社として信仰されている。
【みそき・みそそぎ】
身体を水で洗い清めることから、みそぎは、ミソソギ(身滌・身濯)」の約と考えられる。

ソソギはすすぐ(そそぐ)の連用形が名詞化した語で、水で洗い清める意味から、汚名をそそぐなど、罪や汚れを清める意味でも使われる。

記紀神話(古事記・日本書紀)の中にある、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が亡き妻の伊弉冉(いざIなみ)を黄泉(よみ:死者の国)の国に訪ねた後、筑紫の日向で身体についた穢れを祓い清めるた話が、みそぎの始まりといわれている。

天念寺  (観光協会説明書き転記)
天念寺は六郷満山の中山本寺(なかやまほんじ)で、養老2年(718年)仁聞菩薩によって開基されたといわれ、平安・鎌倉時代には他の寺院と同様に修験と祈願の寺院として繁栄しました。
鎌倉時代の元寇の際には、満山寺院の僧を集めての戦勝祈願の法要が盛んに行われたとも伝えられています。
周囲の景観はその美しさから「天念寺耶馬」と呼称されて人々に広く愛されており、加えてこの寺では六郷満山古来の正月行事である「修正鬼会」が現在でも行われていることでも知られています。
天念寺の前を流れる長岩屋川には、川中の巨岩に不動三尊が刻まれています。この川は幾度となく氾濫を繰り返したため水害除けに刻まれたと伝えられています。

天念寺に併設する伝統文化伝習施設「鬼会の里」には、国の重要文化財である阿弥陀如来立像が展示されており、祈りの空間として訪れる人の心を和ませてくれます。
また「修正鬼会」も体感できるシアターも兼ねそなえており、話題のスポット。



天念寺・講堂周辺の石造文化財他

磨崖役行者像
戦国時代末期のもので修験道の開祖とされる役行者が薄肉彫りされた磨崖仏である。

十王像が残る龕

弘法大師石造


磨崖の仏像

風化の激しい龕の仏像

講堂裏の羅漢さん

国宝堂跡の仏像
明治三十九年に旧国宝に指定された、六体の平安仏が安置されていた国宝堂と呼ばれる建物があった。・・と説明書きがある。