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国東半島峯道ロングトレイル T-2 を歩く |
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2014/12/26 |
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t-2cc |
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稲荷社を正面に見ながら左折して、竹藪の道を100m程下り、突き当たりを右に進みます。 程なくのT字路を右折し、即植木の間の道を左に下ります。 民家の庭先を通り抜けて、民家の間の瀬戸道を進むと、岩脇寺の境内に出ます。 |
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岩脇寺 |
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高山寺から約1時間30分 |
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【境内説明書き】
六郷満山 本山本寺 日野山岩脇寺(天台宗)
霊場めぐり第三番札所
開基 仁聞菩薩 養老三年(719)
本尊 阿弥陀如来
寺伝云日野山岩脇寺は仁聞菩薩養老三年(719)開基 また、延暦寺の直末であったとも、六郷山定額院主目録に岩脇寺正等院徒六房あり天正中兵火に罹り烏有に帰す。
寛永元年(1624)浄眼和尚衆庶の進施に依り再建、天明年中(1781~1788)の寺院名簿に岩脇寺は島原領内にあり
寛政五年(1793)三月寂照和尚の時城主松平公に請うて営繕改修し本堂庫裏を今に残す。
境内の神仏
本堂 阿弥陀如来、不動明王
弁財天及脇侍十体
三十三観音、帝釈天
奥院 六所権現、八十八ヶ所石仏
磨崖仏 |
豊後高田市観光協会 |
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日野山岩脇寺
養老三年(719)仁聞菩薩が開いたと伝えられる天台宗の古寺で本尊は阿弥陀如来です。
昔、鬼会が盛大に行われた講堂跡をまわり本堂に参拝し六所権現と奥の院岩屋を巡って十分余り後には今の位置に帰着します。
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日野山岩脇寺 天台宗山門派 六郷山 本山末寺
【寺宝】
・本尊 阿弥陀如来 木造坐像
明治十年に比叡山の飽憧院にまつられていた仏で、恵心僧都の作といわれる。金彩
※恵心僧都(942~1017)浄土往生、念仏をすすめた最初の僧侶
それまでは不動明王が本尊
・不動明王三尊 木造立像(厨子の中)
・不動明王三尊 木造立像
・阿弥陀如来 木造坐像
・観 音? 木造坐像 愛敬寺(霊場記五二番)本尊という。
・弁財天 木造坐像
・十六童子 木造立像
・天台大師 木造坐像彩色
・伝教大師 木造坐像彩色
・焼 仏 木造二体 高山寺の仏とされる。
・三十三観音 石造 鐘楼に安置
・半 鐘 寛延三年(1750)
・高山寺遺物 潅頂弊 大一本 小一本
鏡 施主 田原大野 文政十一年子七月 (1828)
【時代検証】
○ ? 史料はないが、平安末か鎌倉初期の開山とおもわれる。
○弘安七年 田染村史によれば、将軍よりの教書に基づき、高山寺などと異国降伏の祈祷をしたとある。(1284)
○建武四年 「六郷山本中末寺次第并四至等注文案」に日野岩屋と記されている。(1337)
○応永三平三年建立の宝饉印塔 相輪部後家あわせ
応永三十三年 ・右伏請 ・三宝證明 ・諸天洞鑿 ・九月十八日 建立
○室町時代成立とされる「六郷山定額院主目録」に岩脇寺正等院徒六坊之あり。
※室町時代 1392年~100年程度
○天正十四年 兵火にあう。 (1586)
○寛永元年 浄眼和尚、再興を志し村々を回って喜捨をうけて雨露をしのぐ草庵を建つ(1624)
○元禄二年 島原藩に提出の田染組絵図の明細書きに岩脇寺の名あり(無住の場合は寺名なし)
○島原藩豊州御領覚書 寛保・延享・寛永年間(1741~1750)に寺名あり。
※無住の場合は寺名なし。
○安永六年 天台宗豊後六郷山延暦寺名簿に寺名あり。(1778)
○安永八年 峯入りの智恩寺柱銘のなかに参加者として寺名あり。(1779)
○天明年中寺院名簿には、田染郷横嶺村、日野山岩脇寺ハ島原領、山門末、本尊不動、十二天、今宮、天神、奥ノ院ノ岩屋六所権現、高山六所権現岩脇寺預り、高山堂正観音同断、本堂阿弥陀、観音、十王、岩脇寺末寺喜福寺同村云々とある。(1781~1789)
○寛政五年 寂照和尚、島原の松平氏の援助で本堂を再建した。(1793)
○天保七年 元禄の絵図に天保七年までに変化のあった時は掛紙をつけて提出するように指示されたが、寺名は記載されている。(1836)
○天保十一年護摩堂再建 (1840)
○天保十六年六所権現神殿再建 (1845)
○嘉永六年峯入り修札 (1853)
嘉永六癸丑天 大先達行入寺豪清 文殊仙寺 天念寺
千灯寺 胎蔵寺
大衆
六郷満山仁聞菩薩古跡入峯行者拾一人初入敬白
敬白
興道寺 清浄光寺
二月吉良辰 後越家両子寺豪千 宝命寺 大聖寺
○安政六年石造鳥居建立 (1859)
右表 神之降当庶民有厳
裏 巳未冬十二月 別当 教成院豪真法印
石工 大力村 大野寿右衛門
左表 命干下国封迷願福
裏 安政六年 村正 渡辺源兵衛源知
願主 氏子中
額 六所大権現
○文久元年石燈籍寄進 (1861)
奉寄進
大力村 大野寿ヱ門基親
文久元酉六月
○元治二年石燈龍寄進 (1865)
元治二丑十二月 岩脇 平吉
○明治五年前後の本末一派寺院名簿に寺名あり、無住は記載なし (1872)
○中世以降琵琶法師と呼ばれた国東半島における盲僧の檀名寺であった
○修正鬼会は明治三七年ころから中断
○岩脇寺の住職は必ず「となしとのくち」で修行せねばならないとされた。
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岩脇寺の左手から、岩脇寺裏手の奥の院(六種宮)へと上る。この道には、六所宮の鳥居や神仏の祠があり、神仏習合を強く感じます。 |
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磨崖の仏があると書かれていますが、風化が著しく、その姿を見ることが出来ません。 その先には岩が大きくオーバーハングしたところがあり、多くの仏様が祀られていいます。また、観音堂もあって、八十八ヶ所めぐりの観音像がここに集めて祀られています。 |
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崖の上には、かつて六所宮の社がありましたが、今は朽ち果てた残骸が崖っぷちに積まれているだけになりました。 |
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ここは、十年に一度行われる、「峯入り」のコースでもあります。天台の僧侶達が、この道に立、「散華」と呼ばれる所作を行います。 ここを下って、県道35号線に出ます。 |
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