目次へ 国東町治郎丸・・ウォーキングと・・ ・・・・・・・
sub3-80   2007年10月20日        文字は、中の等巾フォント(MSゴシック)でご覧ください

日ごろの運動不足を解消しようと、家内を誘ってウォーキングに出かけました。
先日、故郷の画像をリクエスト頂いた事を思い出して、国東町冶郎丸の谷を歩く事にしました。

R213の冶郎丸バス停付近に車を停めて歩き始めました。
本日の目標歩数は一万歩。冶郎丸川沿いの集落を抜ける道を国東半島の中心に向かって歩くルートです。
地図で確認した限り、4kmも歩けば行き止まりの様です。目標が一万歩だから、5千歩まで進んで引き返せ
ば目標達成となる計算です。

先日、途中のオレンジロード(広域農道)まで車で下見をしておきました。
道沿いには沢山のコスモスが咲いて、のどかでいい雰囲気の雰囲気のウォーキングコースです。

歩き始めての景色は、稲刈りの終わった田んぼに新しい切り株が規則正い模様を作っています。

舗装道路から、冶郎丸川に架かる橋を渡って田んぼのあぜ道を歩こうと足を踏み入れました。
草に蔽われた農道は、辛うじて軽トラックやトラクターの轍のみ地面が見えています。
私たちの足音に驚いてバッタやコオロギたちが飛び出してきます。私たちが草を掻き分けて歩くたびに虫たちがピョンピョンと飛び出して逃げていきます。虫たちが線香花火の様に見えました。

子供の頃はこの虫たちを捕まえて遊びました。ショウリョウバッタは大きな足の先を持って揺らすと、ピョコピョコと体を動かします。この様子が杵の様に見えることから、米つきバッタとか餅つきバッタなんて呼んでいました。
大きなメスのバッタに小さなオスのバッタが乗っかったおんぶバッタもネコジャラシの茎にとまっています。

コオロギやバッタを沢山捕まえて鶏小屋に放すと、鶏たちが喜んで食べていました。
虫を沢山与えると黄身の色が濃くなるんです。味までは覚えていません。動物性蛋白で美味しくなったのかな?

草に足をとられながら50mくらいあぜ道を歩いて、草いきれや虫たちに癒されました。川沿いにはネコジャラシの穂が秋風にユラユラ揺れています。

舗装道路に戻って、集落の入り口あたりまで来ました。
民家があって、庭先に小さな畑がありました。

畑には虫に食われて穴のあいた白菜の苗がふた畝ほどあって、その向こうにはだいぶくたびれ果てた様子のナスの木が3本辛うじて立っています。黒々と元気だった夏頃の面影は無く、葉は破れ傘の様になり、細い小さな曲がったナスを申し訳無さそうに数本ぶら下がっていました。痩せこけて羽の抜けた鶏が竹の棒に寄りかかって辛うじて立っている様に見えました。

時折、カラカラとペットボトルでこしらえたモグラ脅しの風車が乾いた音を立てて回っていました。
取り残されたピーマンと殆ど枯れているキュウリの垣が田舎らしい風情をみせています。

ここを過ぎると右手に真っ白な漆喰壁のお堂が目に飛び込んできました。
道沿いには真っ赤な花をつけたカンナがあって、白い漆喰壁と抜けるような青い空の色がつくるコントラストがとても良い感じでした。
綺麗に掃除されたお堂に、この集落の人々の信仰の深さを感じます。
お堂の右手にお地蔵さんが祭られています。そのお地蔵さんにヘルメットがのせられています。お地蔵さんになぜヘルメットをかぶせているのか?最初は奇異に見えていましたが、なかなか似合っている様にも思えてきました。

ここまで、五、六百メートル歩いたかな?村人には未だ1人も逢いません。静かな集落です。


お堂を過ぎて少し行くと右手に高い石垣がありました。
昔は人の住む家をこの石垣が支えていたんでしょうね。
今は、主のいなくなった石垣だけがあって、石垣の上の地面を草が覆い、その草のに中ピンクのコスモスが咲いていました。

集落も過疎化が進んでいるようで、あちこちに空家が目に付きます。
わらぶき屋根の家が半分潰れかけて、外れた板戸の隙間から畳が少し見えています。以前は、あたたかい光と人の声があったんでしょうね。

国東半島のどの村も過疎化が進んで行きます。高齢化の先に必ずやってくる過疎化をどう食止めれば良いのか、大きな問題ですね。

食料自給率は、限り無く低下して行きます。化石燃料の代わりに穀物や植物作るアルコールが注目され、少しずつ使われ始めています。食料もエネルギーも国内では賄えない日本国になって行く事が気がかりです。

話が、散歩でしたね。少し軌道修正しましょう。

冶郎丸の公民館前に来ました。あまり立派とは言えませんが、集落の戸数から見れば十分な大きさの公民館です。
隣には広い境内の神社があります。境内には1対の狛犬があります。ふと狛犬に目をやると、自転車が1台とめてあります。自転車の様子からして中学生かな?近くの友達の家にでも遊びに来ているんでしょう。
やっと人の気配を感じました。

神社の境内には大きな石碑がありました。治郎丸川の河川改修工事に関する碑の様です。工事に係わった人々の名前が石碑のプレートに刻まれていました。

神社の先の角を抜けると直線道路があって、その道路の左端にコスモスとヒャクニチソウが花を咲かせていました。少し盛りは過ぎましたが、まだまだ見ごたえの有る秋の風景です。

コスモスの間に「連碑」の標識を見つけました。あたりを見渡しますが、それらしき物が見当たりません。誰かに尋ね様と思いますが、人影はありません。コスモスとヒャクニチソウの咲く田舎の風景を楽しみながら歩きつづけます。

左手の川向こうにこんもりとした森が見えています。木の下には、お堂のような建物が見えます。少し道を外れますが、寄り道をする事にしました。

川沿いに少し上ると、川向こうの森の有る方へ渡る橋がありました。橋には「めがね橋」とありました。熊本式と呼ばれる石組みの橋との事です。橋は草でおおわれており、川辺に近づいて覗くがその石積みを確認する事は出来ませんでした。草の枯れる冬場にでも訪れてみようと思います。

橋を渡って、建物の裏手から横を通ると小さな鐘が下がっています。
その左手には十王像が彫られた石塔がありました。表裏に各4王、左右の側面に各1王がレリーフ彫刻されていました。

国東半島は仏の里と言われますが、どこの谷へ行ってもお寺があって仏がいます。
この場所は、境内の説明書きに弥勒寺跡と知りました。


    ・・・・★板書き転記★・・・・

阿弥陀寺跡 国東町大字治郎丸
元久二年(1205年)都荘坊入道(別名 小山田行重)
が鎌倉より本尊三体を捧持して府内に下向、府内よりこの地に移り、御堂を建てて仏像を安置、のち寺を建立、阿弥陀寺とする。
同寺は、ときに有住、ときに無住を繰り返し、江戸時代末期(文久年間)廃寺となる。

・めがね橋 御堂の裏の谷川にかかる橋で、熊本方式に より石を見事に組み合わせている。
・阿弥陀像 木彫、素材は楠 金箔塗り
・一石十王像 享保年間の作 一石に前後各四体、両側
 各一体ずつ刻まれている。
    ・・・・以上、板書きからの転記です。


再び元の道へと戻りました。少し上りはじめると高い石垣があって、その上に民家があります。お世辞にも立派とは言えない丸石を積み上げた石垣は、少々その面を歪ませて危なげに見えます。言い方を変えれば、風情の有る田舎らしい石垣ですね。

途中の段には真っ赤なケイトウやヒャクニチソウがが植えられていました。
少々歪んだ石垣とその上に建つひなびた民家と、そこへ続く細く急な坂道を見上げると真っ青な空があって、なんとも落ち着く風景でした。

石垣の下には幅の狭い畑があって、サツマイモが植えられていたようです。イモの蔓が切られて、畑の畦に寄せられ、石垣から垂れ下がっています。

少し高い畑を背伸びして覗くと、赤い大きなサツマイモがごろごろ転がっているのが見えました。今年の夏は雨が少なく暑かったのですがが、イモの出来は上々の様でした。


石垣の下にはコスモスが一本アスファルトの間に花を咲かせていました。

道の反対側には地域の籾摺り設備でしょうか、トタン屋根の平屋があり、籾殻が山のように積まれています。
ゴーゴーとモーターの音が響いて、その音の中にかすかに人の声が聞こえていました。

更に進むとこの集落の外れとなる。民家の脇にさくらんぼの木があり、チラホラとさくらんぼの花が狂い咲きしていました。異常気象のせいでしょうか?

ここを最後に民家が途切れました。クヌギの林を抜けて坂を上ると広域農道と交差します。カーブミラーを見つけて記念写真を一枚撮りました。

緑のトンネル様な道を進みます。ふと見るとアケビの蔓が沢山見えます。もしかして、まだ実が有るかも?と探してみましたが、やはり遅かった様です。残念!
諦めきれずに、しばらく探してみたがやはり見つかりませんでした。・・・

おや、真っ赤な実。道端の日陰に真っ赤な色の冬イチゴがありました。
手に取って陽にかざすとルビーのように赤く輝きます。
口に放り込むといい香りと甘酸っぱさが爽やかに広がりました。少し汗ばんで乾いた喉にとても良い気持ちでした。

ここから次の集落が見えてきました。戸数は少ないが、大きな構えの家が狭い谷あいに軒を寄せて連なっています。
万歩計は4千と少しに歩数を記録しています。

谷あいの家並みを左下に見ながら少し急になった道を更に上ります。坂を上り切ったあたりから家並みを見下ろすと、民家の庭に大きなナツメの木があります。木には取り残されて萎びたナツメの実が残っていました。

我が家の近くにもナツメの木があって、子供の頃はよく無断で頂きました。青い実を噛むと少し乾いた感じの実から甘酸っぱい果汁が美味しかったですね。もう一度噛んでみたいのですが手が届きません。

そんな話を家内と交わしながら歩きます。金木犀の甘い香りが漂ってきます。

ここからはほぼ平らな道となりました。金木犀の香りの風に汗を乾かしながら歩きます。赤く色を変え始めた櫨の木にヤマブドウを見つけました。

早速竹の棒を手に持ってこれを採ろうと蔓に引っ掛けて引っ張りますが手の届く寸前で櫨の木のしなりに負けてしまいます。何度も何度もこれを繰り返してやっと4房ほどのヤマブドウを手に入れました。

小学校の頃は、道草しながらヤマブドウやアケビやイヌビワを見つけておやつ代わりにした思い出があります。
口に含むと想像した味とは少し違っていました。
強い渋みの中に記憶にあったブドウの甘酸っぱさがありました。ヤマブドウの味が変わったのではなく、私の舌が少し贅沢になったのだろうと思います。懐かしい味でした?。

そろそろ行き止まりかな?なんて思いながら進むと、時折メールを頂くkajiさんの家と思しき新しい家が見えました。kajiさんは、田舎暮らしのために都会からここへ移り住んで来たと聞きいています。Kajiさんも、Kajiさんの家もはじめてですが、家はホームページの画像で見た事があります。たぶん間違いないでしょう。

家の前で庭の手入れをしている人に「こんにちは、kajiさんですか?」と声をかけて自己紹介をすると、やっぱりkajiさんでした。

kajiさんの庭に立って、上って来た谷を見下ろすと、V字の谷の向こうに周防灘の海が見えて、白い船が浮かんでいる風景がありました。
朝はこの海から朝日が昇る絶景を拝める最高の場所ですね。

少し話をして、更に道を進んでみました。耕作者を失って荒れた田んぼにハトムギが沢山はえていました。

万歩計は5千をだいぶ超えています。そろそろ引き返す事にしましょう。リュックのポケットは、途中で拾ったドングリとジュズタマで少し膨らんでいます。

kajiさんの家を少し過ぎたあたりから民家の下を通る道を見つけて、畑の中の里道を降りることにしました。

生活感の有る里道を歩いていると民家の庭に視線を感じました。庭先に置かれたベンチの上に寝そべった三毛猫が薄目を開けて私たちを見ています。

秋の優しい日差しの中で日向ぼっこですねす。私たちに気付いて何者かと警戒したのでしょうか。

庭先の道を廻って行くと、先ほどの猫が道まで出て来ていました。人なつこい猫の様です。猫に挨拶して来た道へ戻ります。

ここからの帰り道は緩やかな下りで背中を押されるように軽快に進みます。

歩き始めに気になった「連碑」の場所まで来ました。運良く村人に逢う事が出来、「連碑」を尋ねると、民家の横の道を真っ直ぐ上れば、そこに「連碑」があることを教えてくれました。

少々くたびれた足腰を激励しながらその方向へ上って行きます。途中に家内を待たせて急ぎ足で進むと、少し開けた場所に「連碑」成る石造文化財がありました。その横には青面金剛の庚申塔も祭られていました。

少々光量の少ない被写体にカメラを向けてシャッターを切りましたが、さてちゃんと写っているでしょうか?

ここからは急ぎ足で車まで戻りました。
車まで戻りついて万歩計を見ると、軽く1万歩を超えていました。

今日は、いい運動となりました。足腰に来るのは明日以降でしょうね・・・
気持ちの良い散歩でした。