目次へ 国東町 来浦 浜陰
sub3-67   2005年11月12日        文字は、の等巾フォントでご覧ください。


国東町を過ぎてゴルフ場の下を廻ると来浦(くのうら)。両子山から流れ下る来浦川の河口に小さな集落がある。この地区が浜陰(はまかげ)。

いつもは、この橋の海側にある蝋燭の木が気になるのだが、車をとめた事は無かった。
今日は、ここを歩いてみることにした。

理由は・・・ここ出身の山崎さんから浜陰取材のリクエストメールをいただいたからだ。

早速道の端に車を止めて旧道へと歩き始める。
人影はなく、空気の流れも止まっているように感じる。

JAの文字が少し薄らいだコンクリートの建物があるが、空き家となっている。
道筋に空き家が目立つ。

誰もいない道を歩いていたら猫がひなたぼっこをしたいた。

私が近づくとあわてて車の下に逃げ込んだが、すぐに這い出して来て写真におさまってくれた。

君が第一浜陰生物だな。できれば案内してほしいのだが、お願いできないかな?
そんなお願いを薄目を開けて聞いていたが反応なし。・・しょうがない、勝手に歩いて見るか。

只今8時40分。だんだん朝日が眩しくなる。
少し風が動いて潮の香りが流れてきた。
さっきまで時間が止まりそうだった町並みにまばゆい光が射し込んでどんどん時間が流れはじめていく様な気がした。


少し歩いていくと路地があって、その奥に奇妙な煙突が立った建物が見えた。
その建物を目指して進むと、それは浜陰公民館と書かれた看板がつけられていた。

来浦川の堤防の内側になかなかの造形のその建物は不思議な空間の不思議な館に見えた。
ガラス窓越しに中を覗いてみたが広い板張りの床の端には石油ストーブが数台置かれているだけだった。

建物の裏には大きな桜の木があった。春には見事な花を見せてくれるのだろう。

また元の道へ戻った。
道筋には、たばこやさんやタクシー会社などの商店が軒を連ねている。いや、連ねていたと表現する方正しいかもしれない。
昭和30年頃までは人通りの絶えない賑わいを見せていた商店街だったろ。面影が至る所に残されている。

その繁栄に感謝して立派なお堂が町の真ん中にあった。今も町の人たちに守られている。
お堂をのぞき込んでいる私を見つけてお堂の前のおばあさんが話しかけてきた。お堂の話やお接待の話をしてくれた。
お堂の中にはたくさんの観音様が祀られていた。



さらに歩いていくと、竹の先に折った千代紙を挟んだものを各家の玄関先に置いて回る子どもたちに出会った。

その子どもたちを呼び止めて「何かのお祭りかい?」と聞くと、大きな声で「いのこもち」と答えて足早に次の家へと走り去った。

さて、「いのこもち」とは一体なんだろうか?きっと何かのまつりごとと思うが・・

だんだん太陽が高くなっていく。
さっきまで誰もいなかったゲートボール場にご近所のおじいさんやおばあさんが集まってきた。


今日は、朝の浜陰を歩いてみました。
国東半島六郷の河口に栄えた町が元気だった時代が遠くに過ぎていって、その足跡だけが残されています。

その足跡も今にも風に飛ばされて消えてしまいそうです。
消えてしまいそうな町も私たちを育ててくれた思い出深いふるさとなんです。

今日は、少しでもこの風景を残したいと強く感じました。