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sub3-64   2005年10月02日        文字は、中の等巾フォントでご覧ください。

Re: 仁王さん見つけました 陽爺 - 2005/09/28(Wed) 12:57:17 No.2137

懐かしく拝見!
相模の旅人さんとは直接お会いした事ないですが、懐かしくなりました。
猛嶋神社の境内では子供の頃よく遊びました。
三角ベースの野球から始まり、かくれんぼ、缶けり、ドッチボール、毬つき、チャンバラごっこ、雨の日には卓球や拝殿前の板張りや手すりを猿のごとく。
すぐ後ろの山には金毘羅さん、春秋のまつりでは相撲大会、力石の持ち上げ力自慢、的矢、お神楽などもあり昭和30年頃までは大変な賑わいでした。
その内子供が少なくなり高齢化が進み寂しくなったのでしょう。
でも良い思い出です。
神社の右手から一枚岩の石橋を渡り川に沿っていくと石畳の幅1.5m位の小道があり当時は何とも思ってなかったですが、都会に来てからその先人の偉大さがわかりました。
あの付近の紅葉の季節はすばらしいです(県道からでも見えますが)是非また写真をアップしてください。
あつかましいですが楽しみにしてます。
また時々寄らせてください。


掲示板にこんな書き込みをいただいた。
早速、ここを取材しようと思っていたのだが、猛嶋神社の場所を思い出せ無かった。
今日は、日曜日・・・腰痛止めの湿布の上に医者に出してもらった簡易型のコルセットを巻き付けて出かけてみた。
立石から蕗に通じる道路沿いだろうと想像して本宮からあっちこっち走ってみるが猛嶋神社は見つからない。
ゲートボール場に向かっている老人に尋ねてやっと場所の特定ができた。
たどり着いてみると、何度も通って仁王さんも見ている神社だった。
私の思いこみで、ここは山香町との認識だった。
早速カメラを担いで神社の境内へと近づいていく。

この画像をクリックすると陽平のスライドが始まります。

猛嶋神社には一対の仁王さんが鳥居の両脇でにらみを利かせている。
大きくはないが、その造形は個性的で親しみのある顔と体型である。
この境内で遊んだ陽爺さんもこの仁王さんに見守られていた事だろう。

小さな村の守り神といった神社。境内は信仰心厚い村人によってきれいに守られている。
左手の一段高い場所にはゲートボール場が作られている。
朝夕には村人が集まって来るのだろう。
今は人っ子一人見あたらない。


神社の境内では子供の頃よく遊びました。
三角ベースの野球から始まり、かくれんぼ、缶けり、ドッチボール、毬つき、チャンバラごっこ、雨の日には卓球や拝殿前の板張りや手すりを猿のごとく。
すぐ後ろの山には金毘羅さん、春秋のまつりでは相撲大会、力石の持ち上げ力自慢、的矢、お神楽などもあり昭和30年頃までは大変な賑わいでした。

そんな陽爺さんの書き込みを思い出しながら境内をゆっくりと歩いてあたりを見渡す。
ひょっとして、陽爺さんがお宮の裏からひょっこり現れてくるんじゃないかと思いながらカメラのファインダー越しにきょろきょろと眼をやる。
どんなに見渡しても人っ子一人の気配も無い。

社の裏手にまわり少し段を上がると、書き込みにあった一枚岩の石橋が現れた。
石橋の石はとてつもなく堅い石で、山から流れ下る沢の上にどっしりと乗っかったいる。

陽爺さんんも、陽爺さんの友だちも、陽爺さんの両親もおじいさんもおばあさんもこの石橋の上を渡った事だろう。
その石橋を私が渡る。沢には清らかな水が流れて、沢ガニの姿もあった。

朝露にぬれた草でズボンも靴もびしょびしょにぬれていた。
沢沿いの道を歩いて上の道まで上る。途中、見上げるほどの大きな栗の木があって、栗の毬が沢山道に落ちていた。

急な道にあえぎながら下ばかり見ていたが、立ち止まって腰を伸ばすとそびえ立つ岩山があった。
たぶん、この山が金比羅山かなと思う。
(金比羅さん・・って事は、山じゃ無いのか?)


まだ秋の紅葉には少し早い・・・
空は見事に秋の空になった。
コスモスも秋風に気持ちよさそうに揺れている。
柿の実も色づきはじめて、そろそろ味わって見たい色になって来た。

今度は紅葉の陽平をぜひともこのHPへ載せようと
思う。
陽爺さん・・・もう少しお待ちください。
紅葉の取材も必ずやりますよ。