目次へ ・・・・・・ 2005年のおせったい ・・・・・・・
sub3-59   2005年04月29日        文字は、中の等巾フォントでご覧ください


国東町利生寺山門下石段脇のシャガ















国東半島には「おせったい」という風習があります。
今年も大師講の縁日に当たる21日(旧暦)に「おせったい」が行われました。
地域によっては新暦の4月21日に開いているところもあります。
国東町櫛海は新暦の21日だったと聞きました。

以前は、大分市や別府市でも「おせったい」が行われていましたが、今は、日出町や杵築市から国東半島一帯のみのようです。

私の子どもにころには「おせったい菓子」と呼ばれる吹き寄せや煎餅やポン菓子などでしたが、母の時代にはぜんざいやヤセウマ(小麦粉できしめんのちょっと大きいものを作り茹でて大豆粉(きなこ)と砂糖をまぶしたもの)や炊き込みご飯などだったと聞きます。

いまは、ほとんどが袋入りのスナック菓子や棒ジュースになってしまいました。

今日は、先ず最初にK-planさんのお誘いで国東町利生寺を訪れました。

時間は10時・・・全くその気配なし?
3時過ぎに家に戻って案内メールを見直せばなんと1時・・ははは・・老眼の見誤りでした。・・・悔しい限りです・・

気を取り直して、ご隠居の情報で香々地町の小池地区にある「だるま堂」へと車を飛ばしました。
ここはにぎやかな「おせったい」が行われていました。

ここは古くから行われているご飯ものの「おせったい」でした。
大勢の参拝客で賑わっていました。
ここの地域にお住まいのご隠居を捜しましたがお会いできませんでした。

大きなイチョウの木の新緑の下での「おせったい」・・国東半島の宝です。

そこから少し豊後高田の方に戻ると小林地区があります。
ここでもおせったいの赤い旗が目にとまりました。早速車をとめて地区の真ん中を通る細い道を歩くと「おせったい」がありました。

お賽銭をあげて、弘法さんの石像に手を合わせて・・「おせったい」のお菓子をいただきます。その様子を見て、もてなし側の村人が「お参りありがとうございます」と声をかけてくれます。外来者と地域の人とのちょっとした会話が生まれます。

「どこから来たんかえ?」・・「空港の近くです」「それは遠くからようおいでくださいました」・・・



国東半島の「おせったい」とは、外来の人を温かく迎え、お茶やご飯でもてなすという習俗からきているものだと考えます。
温かくもてなせば功徳として幸福と繁栄が約束されるという思想の表現であろう。

空海が弘法大師の称号を得、入寂したのは、承和(しょうわ)2年3月21日でした。

弘法大師は、「お大師さん」と親しまれ、全国にお大師講という集まりが行われるようになり、21日を縁日として、その得業をたたえ、また平安と繁栄を願うまつりが広がっていったものと伝えられている。
大師講には宗派を問わず多くの人々が参加しており、縁日に集まることにより、人々は連帯感を強めていったとされる。

おせったいは、四国八十八ヶ所を巡るお遍路さんに対するものが良く知られている。

四国地方では、お遍路さんは、お大師様と共に歩く人として、様々な心遣いでもてなし、功徳を積んだ喜びを味わうとされる。

遍路しもてなしを受ける側は、お接待はありがたく受ける。
相互感謝のおせったいは、多くの人々が心身ともに救われる風習であると言われている。