目次へ sub3-44   2004年2月29日

下町散策とひいな(雛)めぐりが杵築市で開催されている。期間は2月22日〜3月14日まで。
私は日頃の運動不足解消と思い、いただいたコース案内とカメラを片手に歩いてみた。

ひいなの展示は17箇所。杵築城を含めて城下町全体を巡る。風情豊かな北台武家屋敷から町民文化の匂い豊かな中町・谷町、眺望の素晴らしい北台となかなかのコース設定である。

私にとって、迷路の様な城下町杵築は素晴らしい遊び場だった。
叔母の家が杵築の南台にあって、子供の頃は良く遊びに行った。夏休みには結構な日数をこの杵築の城下町で過ごした。当毎日のように従兄弟の敏博君とこの町を走り回った。北台も南台も、魚町も中町も、隅から隅までがすべて遊び場だった。
あれから遠に40年程が過ぎたが、この町は当時のままの空気が流れている。当時を思い起こしながらひいなめぐりを楽しんでみよう。
時の忘れ物も発見できるかもしれない。
いわたやさんの雛人形
タートはふるさと産業会館。私の子供の頃はJR杵築を起点に軽便鉄道が走っていた。
その駅があったあたりがふるさと産業会館の様な気がする。直ぐ側に菜種油の匂いが香ばしい建物があった。たぶん、菜種油を絞っていたかと思う。今は無くなったが、ここを通ると私の鼻は香ばしい菜種油の匂いを思い出す。

産業会館は、杵築の主要産物であるお茶やミカン・椎茸や海産物を売る観光客相手のお土産屋である。また、近くの港で水揚げされる新鮮な魚を材料にした練り物を油で揚げた蒲
・・

鉾(てんぷらと称する)も実演販売している。勿論、その魚介類を食材にした昼食も人気が有るようだ。

会館の入り口にはボランティアの方が居て城下町杵築の観光案内ルートを教えてくれる。
まずはここの2階のお雛様を見て出発。

二つ目はさの陶器店、三つ目は八娘/やっこ四つ目はいわたや。いわたやは勘定場の坂の脇に出来た小間物屋さん。
ここから杵築城の天守閣へと向かう。


坂川の河口の高台に位置する杵築城天守閣。下から見上げるとまるでミニチュアの様。
内部は歴史資料館になっており、杵築城の歴史を勉強出来る。

この高台からの眺めは素晴らしい。さらに、天守閣の最上階からは遠く別府の山並みから八坂川の河口に広がる広大な干潟の様子も眺望出来る。この干潟にはカブトガニも生息する。

春を迎えると干潟一面に潮干狩りの大勢がシオマネキの如く動き回る。なかなかの景色が面白い。
河口に広がる干潟ではアサリは勿論馬刀貝や蛤も期待できる。馬刀貝は、砂に出来た馬刀貝の穴に塩を入れると馬刀貝が飛び出して来る。これを素早く捕まえる漁である。・・なかなかの美味。


天守閣からの眺望・・杵築大橋 天守閣からの眺望・・八坂川錦江橋

山公園と呼ばれるこの高台は杵築城の本丸跡で有る。城は高山川、八坂川と守江湾の三方を水に守られた要害堅固な城であった。
天守閣は昭和45年に再建されたもので、杵築市のシンボル的存在となっている。
内部は歴史資料の展示館となっており、歴代

藩主ゆかりの品々を見ることが出来る。また、最上階からは360度の展望が楽しめる。

天守閣脇には城門や塀も一部復元されており、また、市内に散在していた石造文化財を集めた石造物公園もある。・・正しい呼び名が分かります。

丸からはひいなめぐり6番目の磯矢邸へ向かう。
お城から一度坂を下り、武家の屋敷には坂を上る。
北台の武家屋敷に通じる勘定場の坂。ここを上ると、藩校学習の門を残す杵築小学校や磯矢邸・大原邸のある北台武家屋敷跡が有る。

まずは、勘定場の坂を上る。
綺麗に敷き詰められた石畳のおおらかな坂を上る。白壁と石畳と青空のコントラストが美しい。白壁の向こうには梅が咲き誇りほのかに甘い香りを放っている。
いつもはほとんど人通りの無いこの坂も、今日はひいなめぐりを楽しむ人々が賑やかに行き交う。

ひいなめぐりの人の中に脇差しを差した侍が歩いて来そうな気がする。


磯矢邸・・立て看板転記


藩政時代のこと、このあたりは「北台家老丁」と呼ばれていました。

この屋敷は記録(居宅考)によると、宝暦(1751〜1763)のころは、安西源兵衛が住んでいましたが、寛政の大火
(1800)の後、御用屋敷(藩主の休憩所)である「楽寿亭」の一部に、組み込まれました。

楽寿亭は文政7(1824)年に廃止されますが、その後、再び武家屋敷になり、明治初年の「藩士居住絵図」や、加藤家寄贈文書類の調査から加藤与五右衛門(二百石)
の屋敷だったことがわかりました。

家屋は、明治以降の増改築部分を除き、文政〜天保期(19世紀前半)のものと思われていましたが、最近の調査で、文久4年(1864)と刻まれた阿瓦や元治元
(1864)年の札などが発見されています。

土間の玄関で靴を脱ぎ、ひんやりとした畳を歩く。
左手の広間にひいなが飾られていた。
暗の空間に座って庭に咲く梅を楽しむ。一枚開け放たれた障子戸の向こうに風流な枝振りの古木が見事な花をつけている。そいつを少し奥まった薄暗い場所から覗く。明るい光と暗く沈んだ光と陰と、眩しい太陽の光線と、その光線に照らされて白くとんだ畳の向こうに真っ白な梅が美しい。
私と同じところに座って磯矢家の誰かがこの光と陰を楽しんだだろうか。そんなことを考えているとウグイスの鳴き声が響いた。
騒々しい生活の雑音が響かない空間が一人取り残された子供の頃の我が家に私を連れて行く。

こんな空間が私にも欲しいと思った。・・・

正面が勘定場の坂、左手が藩校の門

大原邸・・・立て看板展示

大原邸は杵築藩の家老上席を勤めた家である。
草葺の堂々たる屋根は、昔の面影を最もよく残す建物である。伝えるところによるとこの建物は杵築藩の分家で、支領であった松平家のものと言う。貴重な玄関構造は格式を持つ家思われる。特に庭園は本格的なもので、主屋の東にあって築山に接して八間ほどの池を掘り、中央に中島を築いて石橋を渡し池の周囲に飛び石配した回遊式庭園である。


磯矢邸とは、また違った趣の佐野家。各部屋が回り廊下のようにつながり、いかにも武家屋敷の機能を理解させる。
奥には住み込みの者たちの持ち場だったろう土間の炊事場がある。ひんやりとした空間は時代と厳しい階層社会を想像させた。
佐野家では、当時の風呂(行水場)やトイレ住み込みの女中さん達の生活空間も見ることが出来る。板張りの炊事場に座ってこの空間を眺めていると当時にタイムスリップしそうな気持ちになる。

← 酢屋の坂

佐野邸の左手から下る酢屋の坂。坂の下にある綾部味噌屋の大屋根が坂の左手に甍の雄大な景観をみせる。正面には志保屋の坂がゆっくりと南台へ続く。

酢屋の坂の由来は、この坂の下に酢屋があった事からついたらしい。今は江戸時代から続く老舗の綾部味噌が店をはっている。
子供の頃はこの坂の右手から始まる民家の庭先を巡る迷路探検を楽しんだ。今もその迷路が残っているのだろか。
         志保屋の坂 →

ひいなめぐり八番目は綾部味噌。杵築では老舗の味噌屋さん。風格有る構えは年輪を強烈に感じる。
そこから南台の武家屋敷へと上る志保屋の坂を下から見上げるとゆったりとした上りに見えるが、上りはじめると見かけによらずきつい。時折酢屋の坂を振り返りながら上る。頂上間近の左手に中根邸があり、その裏手に九つ目のひいなめぐりポイントである杵築城下町資料館がある。スタンプだけは押せたが、今日は休館だった。


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志保屋の坂の脇道から酢屋の坂を望む


番目は一松邸(ひとつまつてい)
杵築大橋から上流を眺めると、小高い南台に真っ白な漆喰の塀の屋敷が見える。
ここが一松邸である。
一松邸からの眺望は素晴らしく、杵築城からその向こうの守江湾が一望できる。
眼下には庶民の台所であった魚町の家並みが見渡せる。なかなかの絶景にしばし見とれる。

ここには杵築保育園の園児さん達がつくったかわいいお雛様が展示されていた。

一松邸説明

 一松家関係の文書には、武術に関する目録(免許状)が多数遺されています。
宝暦七年(一七五七)一松庄七宛の新抜流剣術・抜術・取手術の目録、寛政一・二年(一七八九〜九〇)の常右衛門宛目録、天保十四年(一八四三)には忠造宛の宝蔵院流鎌鑓の目録等があります。従って一松家は、代々剣術や槍術の指南役として杵築藩に仕えた家柄と思われます。
嘉永五年(一八五二)の藩士帳には、一松忠造は小性上席(十三石三人扶持)とあります。

 一松定吉氏は明治八年(一八七五)、美和村(現=豊後高田市)の神職波多宗直の二男に生まれました。
明治二十六年大分師範講習科(現=大分大学)を卒業し小学校教師となりました。二十四歳の時、杵築町(現=杵築市)一松能安氏の養嗣子となり長女モトと結婚。明治三十二年上京し、浅草で小学校教師をしながら明治
法律学校(現=明治大学)に学び、明治三十六年判検事登用試験に合格。判事・検事として活躍すること十八年、大審院(現=最高検察庁)検事にもなりました。大正九年弁護士となり、その後『政治』を志し昭和三年以来衆議院議員連続八回当選。昭和二十五年からは参議院議員連続二回当選。この間国務、逓信、厚生、並びに建設の各大臣に就任。政界に活躍すること実に三十有四年、この間の功績が認められ勲等瑞宝章、そして勲一等旭日大綬章を受けました。
一松邸に建てられた立像の右側に彫られた碑文は、昭和四十二年ときの「内閣総理大臣佐藤榮作」氏の撰文によるものです。

 一松邸は、昭和三十二年杵築市に寄贈され、
これまでは「会館」として市民に親しまれてきましたが、市庁舎の移転に伴い、この地に移築し保存・継承するものです。

残り七つなんですが、やや疲れてきました。
今日はここまでにします。
続きは・・・そうですね、来週にでもお伝えします。