目次へ sub3-36 2003年8月24日

国東半島に戻って20年が過ぎたが、いつも見るあの山の向こうにこれほど素晴らしい村があったことを今まで知らなかった。

安岐町山浦・・いつも通る安岐−高田線の朝来川と安岐川の合流するところにある村が安岐町山浦。


安岐川に架かる橋を渡って、棚田にそって上り行くと突然天空の村が現れる。下界からは想像すら出来ない素晴らしい世界が広がっていた。
その風景は未だかつて見たことのない美しい風景だった。
安岐町の庁舎から8kmほど走ると西安岐小学校山浦分校が安岐川の向こうに見える。そこから1kmほども走ると朝来川にかかる山浦橋。その橋を渡ってすぐに安岐川を越えて天空の村へ通じる小さな橋がある。山浦分校の西に続く棚田が気になって、いつか上ってみようと思いながら、なかなか実現しなかった。
仁王さんの写真撮影の途中で、ふとその棚田の事を思い出して、車を止めて橋を渡った。
棚田にそって、急な坂道を上る。汗が頭から噴き出して、アッという間にシャツも帽子もぐしょぐしょにぬれて行く。ただ黙々と足を前に踏みしめながら坂を上る。道を覆う森のトンネルを抜けると左下に安岐川が見えて、その安岐川と私の間に少し棚田が見えた。道路から見える棚田の風景を上から眺めて感激に浸る。
しばらくその風景に見とれて、また上る。ふと上を見上げると農耕用のトップカーのエンジン音が聞こえてくる。その音を耳で追いながら頭を持ち上げて見たが何も見えない。さらに汗を流しながら坂を上ると、スーパーカブが2台並んでいるのが見えた。
長く続いた坂も、その先から平地のように見えて、赤い農耕用のトップカーに耕耘機を乗せた老人が私の方を見ていた。

軽く会釈をして、「こんにちは」と声をかけると、トップカーのお爺さんも「暑いなあ」とにこやかに返してくれた。その向こうの山肌には十数件の民家が見えて、道筋にはヒャクニチソウが天を見上げて、さらにその向こうには黄金色の田んぼが筋状に美しい造形をみせていた。
そして、上ってきた谷筋には想像すら出来なかった美しい棚田が開けて、黄金色に熟れた稲と、まだ青々とした稲が美しい模様をつくっていた。
私は天空の村と思った。


天空の村には果てしない情熱の先人がいて、美しい造形の棚田をつくった。先人が残した素晴らしい財産を村人達が守り続けている。草一つない見事に手入れされた細い畦。
山からわき出す水を巧みな水路で段々の棚田に引き落として行く技術。狭い筋状の棚田には、勿論大型の農機具は入れず。小さな耕耘機のみで耕す。素晴らしい造形を素晴らしい村人の情熱が守っている。
いつまでもあり続けて欲しいと思う風景である。
より多くの人に見て欲しい国東半島の財産である。


坂の途中で出会った老人は、私の中学校の同級生だった一丸君のお父さんだった。
雨で倒れた稲を起こしていた村人に声をかけて話をしているうちにそれを知った。
教えてくれたのは東さん(ひがしさん)。私の家の近くの山下さんの奥さんのお父さんであることも知った。みんさん、いつまでも元気でこの美しい天空の村を守ってください。

※車は下に置いて歩いて上って来ましょう。・・・駐車スペースがありません。