目次へ 熊毛−長瀬/国見町 sub3-25 2002年12月21日

12月21日は朝からどしゃ降りの雨であけた。折角の土曜日に雨とは、日頃の行いに関係しているとは思いたくないが、雨。
午前中はのんびりとする予定だったが、パソコンの調子が今一ひっかかる事に気づいて、11月28日のイメージバックアップ状態に戻すことにした。ところが、DVDの読み込みが途中でひっかかる。数回繰り返したがうまく行かない。さらに1ヶ月前のバックアップを引っ張り出したが同様。再度11月28日版を放り込んだら、なんとか読み込んで無事復帰した。
どっと疲れて、気晴らしに国東半島へ飛び出した。朝方のどしゃ降りは、いつの間にか小降りになって、空も幾分明るくなったいた。

コースは、姫島を目前にする熊毛港からとした。
小江橋と書かれた小さな橋の海側の突堤に奇妙な石積みが見えたので、車を止めて覗いてみた。一抱えほどの石の上にさらに2つの石が積み上げられている。見方によっては、石の上にとまったアホウドリにも見える。橋の向こうには大師堂がある。この大師堂と何か関係があるのかもしれない。それにしても奇妙な石である。

海とは防波堤のコンクリート一枚を隔てて車を走らせる。気持ち良い波の音が私を癒して、いつものノー天気な自分を取り戻させてくれる。

長瀬のひとつ手前の港。大きな石を組み合わせた突堤がおもしろい造形を見せているのに目をひかれて、車をおりて石の上を歩いた。小さな漁船が波に揺れて、潮の香りも心地よい。左手のテトラポットには周防灘の大きな波が姫島方向からうち寄せて白く砕ける。少しだけ冬の海の荒々しさを感じながら、さほど寒くない気持ち良い空気と情景のを一人で楽しんでいる。ひょっとすると、最高の贅沢を味わっているのかもしれない。「どうだ国東半島」と叫んでしまいそうだ。

漁船に人影を見つけてのぞき込むと、タコを絞めている。あまり大きくはないがちょうど良さそうなマダコの様だ。のぞき込んで話しかけると、蛸壺漁の成果であることを教えてくれた。
ここら辺では結構タコがとれるそうだ。ふと気が付くと、この様を覗いているのは私だけではなく先客がいた。三毛と黒のまるまると太った猫である。それをカメラに納めていると、こいつらは野良で、釣り人や漁師に可愛がられて、結構餌をねだるのが上手らしい。私を警戒する様子もなくカメラにおさまってくれた。

タコ漁を終えた夫婦の軽トラの後へ続いてトンネルをぬけると長瀬集落へ出た。ここは砂の海岸線があり、夏に訪れたときには多くの海水浴客が水遊びを楽しんでいた。その時には気づかなかったが、海岸の西側に洞窟のようなほこらと赤い旗が見える。車を停めて近づくと、「潮崎長瀬観世音菩薩」とある。云われ書きには、”元禄七甲戌年(1694年)頃安芸宮岳の舟人浦辺沖を航行中闇にて方向を失い遭難寸前の時燈ありその方角へ漕ぎ進んだ間もなくその燈の見えた所は潮崎の突端にござる観音像の下でありそこで難を逃れた。また今次大戦の終戦前台風のため観音像が荒波に浚われ流失した。しかし其の二年後付近の石塊の中に埋った像が発見され集落の人人は改めて霊験あらたかなんことを祈念して祭祀を行った。爾来諸佛菩薩の中現世利益のあらたかなものとして其の信仰は益々深まって居る。”・・・とあった。

その説明書きを眺めて、波打ち際へおりた。

波打ち際は流れ着いたプラスチックごみがあたりを汚して、だんだん国東半島も汚染が進んでいることを認識した。

山の中ばかりを見ている限りではまだまだきれいな国東半島だと思っていたが、広い地域とつながる海は確実に汚染の波が押し寄せていた。

ここから鳥居をくぐって上の神社まで上がった。そこから山の中の道を上った。道の脇には杉の木が垣根状に植えられていたのが認識できる。たぶん、蜜柑の栽培をしていた跡だろう。野生化したキウイも何本か見かけた。海風のあたる、日当たりの良い斜面は蜜柑やキウイを栽培するには適していたのだろうが、消費者の嗜好の変化と労働力不足で放置されたのであろう。

しばらく景色が開けないまま山の頂上を目指す。やぶ椿やハゼの実を楽しみながら進む。ふと振り返ると大きく視界が開けて、周防灘に浮かぶ姫島がすぐそこに見えて、その向こうに山口県の島々や防府あたりの工場の煙突から立ち上る煙までが見えた。重苦しい灰色の雲と鉛色の海に上下からはさまれた姫島や山口県の防府・徳山あたりが沈んだトーンの中に浮き出して見えた。


2002年12月21日・・どしゃ降り後曇天。私の気持ちはスッキリと晴れ渡った。