目次へ 応利山報恩寺 sub3-22  2002年10月14日

・六郷満山本山本寺
・大折山(応利山)報恩寺(天台宗)
・国東六郷満山霊場めぐり第一番札所
 ・・開基 仁聞菩薩 養老二年(七一八年)
 ・・本尊 千手観世音菩薩(一一三糎)

【境内主祭神及び文化財】
  主風大菩薩
  神功皇后追う福塔
  石造仁王尊像
  制札掲示跡 等
【 寺伝云】
養老二年仁聞菩薩宇佐八幡の神託をを蒙り神功皇后追福の為千手観音を祀り、その後弘仁二年伝教大師最澄宇佐宮参籠の折り、当山に詣で広く円頓の妙旨を伝え、衆徒悉く帰依し天台宗となり爾来顕密の教法を兼ね国家安寧、万民快楽の修法を修す。
往寺は七堂伽藍を整え末寺三十六坊を有す。
幾約星霜の後殊に天正年間大友の兵火に焼かれ、以降衰微の一途を辿る。寛永寛文年代黄檗宗の禅師により再興され天台を離れていったが昭和二十七年再び復帰して今日に至る。

豊後高田から応利山を目指すが、寺への参道が見つからない。
稲刈り途中の人に応利山報恩寺を尋ねてやっと道が確認できたが、相当大変な道であるとの忠告をいただいた。

砂利道を被うほどのセイタカアワダチソウをかき分けながら車を進めると100mほどで行き止まり。
やぶの中へ車を突っ込んで狭い道を登りはじめた。
時計はちょうど11時。

参道はまるで登山道のように、やっと方向がわかる程度の荒れた石ゴロと落ち葉で相当の覚悟を求めている。
少し歩くとこの道にもなれて、様子をうかがう余裕がでてきた。
石ゴロを埋め尽くす落ち葉が土と共に掘り返されて、いかにも参道の手入れをしたかの如くに見えるが、それはイノシシがミミズを掘った跡のようだ。
あちらこちらにイノシシの蹄の跡が見える。
時々倒木が道を遮り、それをくぐったり乗り越えたりしながら報恩寺を目指す。10分もすると頭から汗が噴き出して首筋を流れてくるのがわかる。
どれくらいの時間と距離かも確かめずに登りはじめ、飲み物を持たずに来たことを少し反省しつつ進む。

11時15分 憩いの泉と書かれた水飲み場があるが、ここのところの日照り続きで濁った水がたまっている。
とても飲める状態には無いが、誰かが手入れをしたように周囲の落ち葉は取り除かれている。



ふと上を見上げると軽装登山スタイルの男性が下ってくる。「こんにちは」と声をかけると、「良い所ですよ」と励ましてくれた。

あとどれくらいか聞きたかったのだが、たかだか15分では聞けなかった。


泉から少し歩くと白い標識が見えた。「報恩寺まで後770m」と書かれている。やっと私の目標が見えた。
その標識の手前には高さ1.3mほどの石造りの宝篋印型塔(通称トンクマ/寛文六年作)がある。

時計は11時25分 したたり落ちる汗がノートに落ちる。私の汗をめがけて群がるブヨを払いのけながら情景や思いをノートにメモする。大きな石の頭に腰を下ろして少しだけやすんだ。

鬱そうとしげる木々の向こうに黄金色の水田が拡がる平地が見えた。
その美しい景色を眺めながら、この上に寺を建て、どのようにして檀徒との交流をしていたのか疑問に感じ、のぼり下りの労力を心配しながら、計り知れない信仰の世界を計ろうとしていることを反省した。

そこから1分も歩いただろうか、大きな椎の倒木を乗り越えた向こうに大きな頭の仁王が私を睨んでいる。

その手前には相撲場と書かれた案内板があり、小高い平地が道の右手にある。山の上にある神社には相撲場と称する平地が参道の途中に多く見かける。何を意味するものなのか。
ここにも相撲場があった。


高い台座にのせられた仁王は身の丈1m20cmほど。ずんぐりとして大きな頭のふくよかな顔はあんこ型力士を想像させる。
今まで数多くみたどの仁王像よりも丸っこくて愛らしく感じる。見方によってはタヌキかドラえもんか・・失礼。
しばらく馬鹿なことを考えながら仁王像との時間を楽しんだ。

その先に後400mの道案内板を見つけてため息。
770mの案内板から370mしか進んで無いことに落胆する。汗はシャツをたっぷり濡らすほど私の体からしみ出してしまった。

足下の栗のイガに立ち止まると麓で行われていた運動会のアナウンスが聞こえてきた。

11時40分報恩寺到着。

今まで気づかなかった鳥のさえずりや木々の香りをはこぶ風の涼しさがいっぺんに私の体を刺激する。冬には人里におりてくるメジロもきれいな鳴き声を聞かせてくれた。

鬱そうとしげる森が小さな報恩寺を今にも飲み込んでしまいそうな様子をしばらく眺めていた。ゆっくりと境内に踏み込むと、誰もいない静かな空間に微かな香のかおりが感じ取れる。長い時間たき続けられた線香や焼香が今も残っているのだろうか。人の気配の全くない空間に異次元の香りを感じてすべての重さを忘れた。



講堂の前を横切って寺の右手に進むと畑がある。ここにひ弱に伸びた蜜柑の木があり、青い実が20個ほど付いている。
鼻を近づけると金柑とかぼすの良いとこだけを混ぜた様な爽やかなにおいがする。
乾いた喉がその蜜柑を欲しがって1つもいでしまった。皮をむいてかぶりつくと酸っぱい果汁が口から喉の乾きを一瞬にして潤してくれた。ふと視線を蜜柑のむこうに注ぐと「無断でとるべからず」と書いてある。申し訳なく反省して、お賽銭箱に蜜柑代を放り込んだ。
閉められた扉の隙間から講堂を覗くと、薄暗い壁に11時50分を示す時計が見えた。


さらにこの上には風の神様が祀られている。そこまで足をのばすことにした。

報恩寺から歩いて5分ほどで森の中に広い空間が現れる。私が上ってきた方向と反対側から参道が続いているのが確認できる。河内地区からの参道と考える。

静かな空間には社は無いが、その昔には立派な社が有った様だ。社のまわりに並べられていたと思われる石造文化財や鳥居などが広場のまわりに積み上げられていた。

最上段の風除大権現はきれいに整備され、今でも人々の厚い信仰が続いていることを物語っている。

ただ今11時58分・・そろそろお腹も空いてきた。下山としよう。
約1時間かけてたどり着いた応利山(298m)。風の神様と報恩寺の仏様に無事の登山のお礼と無事の下山をお願いして下ることにした。

12時25分無事下山。