sub3-b2d 2014/03/25 奈多行幸会道を歩く-3



県調査資料より・・塔之本から西白寺門前を過ぎ、清原正美氏宅(大字朝来字松ケ本2859-1番地)前を経由して牛頭之宮に至る。・・・とあるが、この間はあまり気にせずに牛頭之宮へ向かった。

途中溜池の水がもれて、大きな錦鯉がアップアップしていたのを見つけ、穴を塞いだ。
池の上で墓掃除をしていた老夫婦にそのことを伝え、牛頭の宮への道をたずねた。・・・その後鯉はどうなっただろうか?

池の下につながる道を下り、左手に曲がって、民家の間の細い道伝いに歩くと道ばたに石造文化財が数多く並んでいる。五輪塔あり、観音像あり、板碑あり。信仰の歴史を感じながら歩く。かっこうの寄り道対象ともなる。「もしかしたら隠れキリシタン?」「オメガ仏かも?」

そんな楽しい道筋を進むと、満開の梅や紅梅やスイセンやボケが私たちをいやしてくれる。そんな中を歩いて行くと、直ぐに牛頭之宮が見えた。

田んぼの端の仏様

田んぼの端の仏様

道ばたの五輪塔

畑の端の石造文化財

道脇の花桃

八幡社(牛頭之宮)13:18

八坂社(牛頭之宮)板碑説明書き

五霊社説明書き

五霊社の本殿と前に立つ仁王

さて、県の調査資料によれば・・・弁分の牛頭之宮(八坂社)から掛樋に向う道も三通りあって、その一つは、八坂社の玉垣下を通り櫟林を抜けて奥の窪から楽庭を経由し、尾根伝いに進んで湯原地区から城園に出る山路である。その二は、八坂社の旧社殿(五霊社)の横を通り、「お登りケ迫」を経て新池の上手から対岸の道に渉り、湯原を通過する道であり、その三は、八坂社から二〇〇メートルほど逆戻りして、清原正美氏宅(大字朝来字松ケ本二八五九の一番地)前から山路に入り塔野の板碑・宝篋印塔の前を過ぎて湯原に出る道である。

湯原地区の住民は、八坂社の祭礼の時には第一の道を通り、朝来小学校への通学路には第三の道を利用した。第二の道は、「お登りケ迫」の坂が急峻であることに加え、道幅が狭くて利用度が少なかったと思われる。また、塔野経由の旧道には永和二年(一三七六)在銘の板碑と同時期の宝篋印塔かあり、古来より重要な道であったことを推測せしめる。従って、室町時代における奈多行幸会の儀礼集団は、この第三の旧道を通過し、元和二年の際は、ゆるやかな山路である第一の旧道を進行したものと思われる。

近年は牛頭之宮を出御。玉垣に沿って字宮園地区を南進し、櫟林を抜けて山路に入り、通称楽庭を経て峠に至る。これより尾根伝いに東南へ進み、蓮池から湯原地区の位置する谷合の山道を下り、城園寺跡(大字掛樋字城園)に出る。

・・・とあるが、それぞれを少し研究する必要がありそうだ。

コースは、後日再調査予定


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