sub3-b2a 2014/03/25 奈多行幸会道を歩く-3

ここから左折して桃の木峠に上がる。 桃の木峠  この先から右手の旧道へ入る。・・目印は無い。 9:02

踏み跡が微かに残る旧道

山林境界杭を目印に進む。


県調査資料「奈多行幸会道」には、峠には約二十分ほどで着くが、近年まで行われていた恒例の道普請は、走水峠経由の近代的道路の開通によって、この峠道の利用度が減少し、やがて、道普請も沙汰止みとなって今は獣道と化している。
ところが、桃の木峠から諸田に下る山道は、今なお普請が続けられており通行に便なること言うまでもない。
この道普請は、桃の木峠から田原河内の区間が小野地区の担当であり、峠から諸田までの区間が諸田地区の担当であった。
峠を境として、前者は獣道となり後者が通行の便なることを比較するならば、両地区の旧道に対する意識の差が歴然としている。
今後、獣道の普請がなされるならば、絶好のハイキングコースとなるばかりではなく、歴史・地理の学習にとって、生の教材となること必定である。

・・・と書かれている。

さて、「奈多行幸会道」にこう書かれた桃の木峠周辺の今は、田原河内から桃の木峠までは、ほぼ旧道が舗装され、その舗装道路は、旧道の南側を下り、諸田の山神社横へ通じている。桃の木峠から諸田への旧道は、その後の普請の跡は見られず、大きく荒れた獣道となっており、諸田へ下り始める辺りは、倒木が旧道を覆い隠している。それ以降は、諸田までコンクリート舗装がされた林道となって、クヌギ林の管理等に使われている。

風倒木と間伐材が道を塞いでいる。

難関の倒木を乗り越えて、クヌギ林に出た御一行 9:21

水ヶ尾の共同墓地 9:42

一石塔(一石五輪塔)

墓地下の大きな石の上の祠・・山の神様かな?

江口定延氏宅・・この右手から下ってきた。 9:56

弘法大師を祀る石祠

江口定延氏宅下の旧道を渡って下る右手の田んぼ脇の六地蔵塔

六地蔵塔アップ画像

ここで、この辺りを少し・・・・
諸田は、「御田植え祭り」で有名な諸田山神社のある地区。その神社は、江口定延氏宅前の道路を少し戻った道下に鎮座する。毎年春にユーモラスな五穀豊穣神事が行われる。今年も3月21日に盛大に行われた。

さらに戻ること約600mで大吉堂国東塔がある。
町指定有形文化財(昭和五六年三月二五日指定)
大吉堂国東塔(だいきちどうくにさきとう)
  所在地 国東市安岐町明治
  所有者 大吉堂
  年 代 鎌倉~室町時代
国東半島独特の様式を持つ国東塔は大正七年(1918)天沼俊一氏が名付け、以降その名は慣れ親しまれている。
国東塔の特徴は、上向き下向きの花弁がセットになったものとどちらか一方だけのものとがあり、塔身が胴ぶくれの和太鼓形をなし、基壇は二重か三重で、相輪上部には火炎宝珠を持つものが多い。
大吉堂国東塔は一重目一面二個の格狭間が刻まれ、上部反花の大変薄く、塔身・笠・相輪が一石でできている。現在基礎は一重であるが、本来他の二重の基石があったものと思われる。
石材は格角閃安山岩で、総高一八四cmである。
平成七年三月 安岐町教育委員会
・・・・説明書き転記

大吉堂跡 一石国東塔

大吉堂一石国東塔

山王宮


大日堂(薬師如来を祀っているそうですが、大日堂?)

宝篋印塔や庚申塔などの石造文化財が並んでいる。


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