sub3-b0-8 2014/02/01 奈多行幸会道を歩く−1



原集落から、右にルートを取ると桂川が鋭く削った清滝が難所となる。小高い小山の尾根を越えて、山下集落への道としたのだろう。
この道は、今は通う人も無く、山仕事に時折通う程度となっているようで、枯れ竹や道に生え込んだ草木が昔人の往来の跡を覆い隠そうとしている。

下見では、椚山への作業道がしっかりしており、その道に歩いてしまった。かなり遠回りしたが、微かに残る踏み跡を見つけられた。

画像の山道の入り口から山下集落まで3百mほどだろう。

山下集落への出口は、少し異なっていた。集落裏手に急傾斜地対策のコンクリートの壁が設けられ、道は少し遠回りになっていた。

少しススキに阻まれた出口を抜けると、山下集落から茂原集落へのぼる舗装路へでた。

山下集落




山下集落へ出て、清滝上の桂川へと歩を進める。奈多行幸会の行われていた時代は、もう少しショートカットの田んぼの畦を歩いたのかも知れない。

ここは、合鴨農法とその合鴨を食用として飼育しているようで、田んぼの中に合鴨がたくさん飼われていた。

さて、残りも少なくなった。最後の踏ん張りとしよう。
やや、焦りもあったのか、白鳥神社以降の撮影画像が無いと、編集時に気付く。仕方なく、後日の撮影画像と、下見時の撮影画像を組み合わせての編集となった。

桂川に到達し、右岸沿いにのぼって行く。対岸は鎧渕と呼ばれる場所の少し手前から山道となる。この入り口に、イノシシ除けの丈夫なゲートが設けられていた。それを開けて通り、一里塚と呼ばれる石祠の前を通って七田の集落へと通じる。

先日、この先に住む安部さんへ挨拶しておいた御陰か、道を覆い尽くしていた茅が刈り払われていた。
一里塚手前のイノシシ除け

一里塚

亀石

鎧渕(一里塚の対岸)

七田集落

田井集落(もうすぐ今日のゴール)

手前から、本宮磨崖仏・本宮八幡宮



本宮磨崖仏

ゴールの挨拶をいただいた綾部先生

本宮八幡宮

歩いてみればなかなか楽しい23kmの道だった。
奈多行幸会の御一行様八百人もの集団が統制されて歩いたのか?寒い11月の服装や夜の寒さをどのようにして凌いだのか?食料はどうしたのか?
手に入れた資料には、休憩宿泊する各地に乞うたの記載があるが、八百人が腹を満たす食料提供がこの時代に出来たとは考えにくい。

もしかしたら、にぎりめしやその他の携帯食料持参での行幸だったのかも知れない。

八百人の集団の行幸を今の考えで想像すると、疑問ばかりが涌いてくるが、その時代どうやって実行したのか、詳しく知りたいと強く思う。

まあ、それはさておき、八百人の集団の中に身を置いて、まわりの人々とワイワイガヤガヤの行幸を妄想しながら歩けた今日は最高の一日となった。
第2回の模擬奈多行幸会を早く計画したい。
ご参加いただいた皆様、御協力いただいた綾部先生に感謝します。ありがとうございました。

本宮八幡宮