sub3-b0-6 2014/02/01 奈多行幸会道を歩く−1



森地区の道ばたに残る井戸と道標石
若宮を後にして、次の目的地である白鳥神社へと向かう。本来、(大分県の調査資料)では、若宮八幡宮からは来た道を戻るが、今日は多少近道をした。
再び、本来とされる道に戻って、上南−西部と進み、出水口を通り水谷山鈞蔵院前を進む。大分県調査資料では、水谷山鈞蔵院へ少しのぼった位置に道が引かれているが、通れそうに無い。

森団地、鈞蔵院前をすぎて、県道34号線へ交差する。県道の向こうに、井戸と石の道標がある。 そこで、しばらく道標文字の解読を試みたが、なかなか手強い相手だった。西ぶぜんうさこくら?(豊前宇佐 小倉?)。県の調査資料には、東のみ書かれている。それによれば、東 たし婦道 きつ起道 と刻まれているそうだ。

梅の香が漂う道を桂川へ向かって進む。それにしても良いお天気に恵まれて最高の奈多行幸会探検日和に感謝である。

なかなかの門構え

塀の質感がすばらしい


桂川へ出た。つい最近まで沈み橋があったそうだが、堰が出来、橋が架けられて沈み橋は撤去されてしまったそうだ。

もったいないなぁ〜・・と沈み橋の無くなった桂川をのぞく御一行。

まあ、便利になる事は悪いことでは無い。それから、奈多行幸会の時代は自転車も自動車も無かったので、川を渡れれば良かったが、今の時代は車が渡れる必要がある。橋は生活に無くては成らないインフラとなった。

川は、水害などがおきないよう、川幅が広げられ、堤防も高くされて来た。だんだん見た目は周りの景観に溶け込み難くなって行くが、今ここで生活する人間の便利と安全が最優先だから仕方ない。

奈多行幸会の御一行が歩いた時代はどんな風景が広がっていたのでしょうね。



橋の上から桂川上流を望む

橋を渡って、田んぼ脇の道を歩く


桂川を渡って、北部工業団地南を東へ向かう。北部工業団地へ通じる道の途中から分かれ道を右手方向に上っていく。
狭い谷間に数軒の民家が軒を連らねている。家の前の畑にはロウバイがきれいな花を開いていた。
キンカンも鈴なりで取り残されている。ちょっと失敬して口に放り込む。良い香りが口に充満して、甘酸っぱい果汁が乾いた喉を潤す。元気がよみがえって来る。うまい!

坂を登っていくと道は二手に分かれ、其の場所には六地蔵が祀られていた。その右手にも六地蔵が見えた。この上は墓地だろう。

さらに進むと鶏舎があった。この臭いは強烈。たまらぬにおいに足を速めて通り過ぎるも、においが後から追いかけて来る。
この先は、素掘りのトンネルで向こうの集落へ出るが、行幸会の当時は尾根伝いに北へ進み、塔ノ御堂下へ出たと聞く。その道を探してのぼってみるが、藪で道らしきが確認できないために、今日はあきらめた。

しばらく進むと、分かれ道があり、右手には素掘りのトンネルが口をあけている。何度か車で通ったが、歩いてみると狭くて怖い。トンネルの中は大きな声を出したり手を叩くと反響するが、素掘りのトンネはそれが無い。