目次へ 清巌寺跡経由の高岩-一望岩コース開拓とシシ鍋会
sub3-a1 2012年3月10日 文字は、の等巾フォント(MSゴシック)でご覧ください。


雨の日が続いていたので、お天気が心配だったが、予報の曇りがなんと晴れ間の出るいい感じの春日和となった。遅かった梅も香しい香りを放っている。

今日は、上香々地の前田から、清巌寺跡(現不動堂)を経由して高岩へ登るのルート開拓に挑む事とした。

以前、大分合同新聞に紹介された、前田から清巌寺跡の登り口を経由し谷筋を上り西方寺へと通じる、通称「高岩越え」道を峠まで登り、そこから左手にそびえる高岩登頂のコースがある。前回このコースを下り方向に試したが、鬱蒼と茂る杉林の中を下るため、眺望を楽しむことが出来ない。さらに、間伐された丸大がころがっており、結構難儀を強いられた。

それでは、もう少し景色も楽しめるコースを開拓しようと、今日の探検となった。

今日の探検隊メンバーは、国見粋群のM本さんとH田さん、空港方面のM野さん、
J三さん、青鬼君事T橋君の5名。いつもなら、O日向親分とY本さんとA永さんが参加するのだが、今日は、探検後にイノシシ料理を楽しむ「イノシシ会」を計画しているので、この3名は、その準備他でやむ無く参加断念となった。

見よ!H田さんの準備万端の姿を・・私も欲しい足のカバー。作業着を売っているところにあると聞いたので私も買おう。草刈りや泥仕事に打って付け。それから、ちょっと厚着に思うが、どうでも良いか?
だじゃれで汗をかいても知りませんよ。私たちは、それを聞いて涼しくなります。・・ははは・・・

前田集落の楽庭社(六所神社)に10時に集合し、皆で出発前の記念撮影をして出発した。まずは、清巌寺跡を目指してGO!

歩き始めて直ぐの右手に「祇舎谷不動 清巌寺跡」の案内板がある。 100m程で大力さんの庭にある大きな国東塔を目印に右折し、畑の中の道を進む。程なく急な登りが始まり、登り着いたあたりの左側に大きな石を削った香炉置きがある。その上には地蔵さんが数体無造作に転がっている。左手には大きな石板が倒れているが、この石板には六地蔵が彫られていると聞いた。重くて起こせないので確認はできない。皆で、少し観察した。この地域では、お墓の入りロには墓を守る意味で六地蔵を祀るらしい。


少しぬかるんでいる上にイノシシかアナグマの仕業で掘り起こされてグチャグチャになった山道を進んで行く。右手にシイタケのほだ木にするクヌギの木を切っていた村人に出会った。挨拶をしてどんどん進む。

大きな木が倒れて道を塞いでいた。先週下った時には無かったような・・と曖昧な記憶の話をしたら、H田さんが、倒木から新しい芽が垂直に伸びているのを見つけて、相当前に倒れた木であることを指摘した。H田さんの鋭い観察力に感心し、私の曖昧な記憶力を笑われた。

さて、200m位歩いただろうか、情巌寺跡の登り口に到着した。

雨水で洗われ、石段は辛うじて地面に張り付いている。石灯籠らしき石造物が清巌寺跡ヘの登り口を教えてくれる。


檜林を見上げると、石段が上へと延びているのが見える。その先は薄暗い林の上へ吸い込まれている。

さっそく登り始める。喘ぎながら登る事200m程で岩屋の窪みに建てられた堂宇へ登り着いた。H田さんは石段の数を数えていたが、何段だったのだろうか?
※後日のメールで222段と連絡いただきました。

そうそう、ここは檜の林ですが、鹿の被害が甚大です。幹の下の皮が殆ど剥がされています。それに引き替え杉は被害が少ないとの事。鹿の好み?

皆さん色んな事を知っているので、歩きながらも色んな知識が吸収出来ます。ただし、ながいことその記憶がとどまらないのが現時点の問題です。


ここが清巌寺跡。堂宇に上がり込んで、閉ざされた扉を開け、祀られている不動明王石造に手を合わせて頭を垂れた。ここまでの無事とこれからの無事を祈る。

閉ざされていた扉を開くと身の丈1m程の不動明王石造が立っていた。頭が薄暗く影に覆われ、その顔立ちがはっきりと見えないが、かなり厳つい不動明王の様に感じた。その左手に1m50cm程の木札(棟札)が立てかけてあった。

先目以来気になっていた木札(棟札)を引っ張り出して、埃を払い写真に収めた。・・・・

撮影後、棟札をおさめ、扉を元に戻して、再び手を合わせた。

棟札には、上部に、日星月、中央星の下に不動明王(梵字)、奉再興御堂一宇、天下泰平、国家豊饒、當御願主牧野越中守源俱貞公、御武運長久、御領静謐、五穀成就、 左右に、聖主天中天、迦陵頻伽聲、哀愍衆生者、我等今敬禮、 維時、享保十七年(1732)、大庄屋真玉與三右衛門、 郷司、熊井重明、大力左衛門、 壬子三月廿九日、霊仙寺現住敬存法印誌、実相院現住竪者信梁、 大工 矢野映五郎、 石工 野田、 氏子中 と記されている。また裏には、梵字のキリーク(千手観音菩薩)、カーン(不動明王)、享保十七壬子年(一七二七年)、平成七亥乙年十月(一九九五年)、 揮毫 實相院現董映信 謹書 二六八年前と墨書きされている。


先週は、堂宇の裏山へ右手方向から回り込んだが、今日は左手から回り込むコースと考えた。さっそく左手へ回り込むが、厳しい壁が続くことを確認して、右回りのコースヘ戻した。

小さな常緑低木の林をよじ登り天辺に到着した。遠く宇佐・中津方向の海が青くきれいに眺望できた。
少し高岩方向へ進んで、岩場に出ると、正面高くに高岩がそびえている。右手向こうには、大きな岩を乗せた山が見え、そのさらに向こうには尾群れ山やハジカミ山や両子山も見えた。

岩場に腰かけて、これから向かう高岩を見上げながら、H田さんがリュックに入れて運んできた大きなみかんをいただいた。少し汗ばんで乾いた喉に潤いが帰ってきた。・・うまい! これで、H田さんのリュックが少し軽くなっただろう。その分私たちの腹の重さが増えた。
ここの場所を「みかん山」と勝手な名前をつけた。



谷向こうから振り返った「みかん山」
さて、私たちの腰を下ろした岩の前は深い谷の様だが、良く見れば、その中央あたりに尾根が谷の向こうまで続いている様に見える。岩を2m程ずり下がってみると、尾根が確認できた。

尾根を伝って谷を越えてしばらく進むと、誰かが付けた赤テープがあった。たぶん、高岩越えのコース途中から登って来たのだろう。今度はそのテープをたよりに高岩を目指してどんどん急になって行く斜面を這い上がる。
途中、太陽の光を透かして真っ赤に輝く薮椿が心を癒してくれた。

高岩の下に到着した。M野さんは、以前一人で来た時に、このほぼ垂直の壁を登ったそうだが、今日のメンバーでは危険と判断して、左回りに付けられた赤テープのコースを勧めた。事故は禁物なので、その提案に従う。安全に、高岩左手の尾根に出た。

高岩登頂前の絶景ポイント

青い周防灘が美しい

このまま高岩へは登らず、さらに左手の瘤に登る。ここからの眺めがすばらしいので、寄り道は欠かせない。
岩瘤に腰かけて、眼下に広がる上香々地の谷とその向こうの山並みや青く広がる周防灘の景色を楽しんだ。周防灘の向こうには徳山の町影も薄ら確認できた。

さて、目の前の高岩を目指そう。昼を少し過ぎて、お腹も空いてきた。
急な斜面を赤テープ頼りに高岩登頂。時間は12時10分。

しばし今日のピークヘ立って、谷底を見渡す。あちこちからスギ花粉のノロシが上がっている。

各自持参した弁当?と思いきや、皆さんコンビニで買って来たパンやおにぎりだった。私も途中のコンビニで買って来たパンを押し込んだ。

ここでまたもやH田さんが運んで来たゆで卵が配給された。遠い昔の小学校の遠足の思い出話ほかに花が咲き、楽しいお昼のひと時を過ごした。


高岩登頂 谷から立ちのぼる杉花粉ののろし

お昼のひととき

高岩越えの峠を目指します