目次へ 上香々地石像文化財探訪−2

sub3-95e 2011年12月24日 文字は、の等巾フォント(MSゴシック)でご覧ください。

おせったい

11時を少し過ぎた頃、道園の線刻板碑の探訪を終えた私たちに“おせったい”のお声掛けをいただいた。
メンバーの山本さんや堀田さんのお知り合いで、先ほど玄関先を通らせていただいた板井さんである。

私も板井さんとは2004年の5月にお会いしている。
この地区の“おせったい”取材で偶然にも写真を撮らせていただいた。また、息子さんとは、横岳にある割石の注連縄かけで2006年と今年の11月にお会いしている。

それはさておき、お言葉に甘えて総勢7名がズケズケと茶の間に上がり込んで、豪勢な“おせったい”をお受けする事となった。

今も人を暖かくもてなす“おせったい”の心を持ち続けている地域と人の暖かみを強く感じました。・・ありがとうございました。

心暖かいお接待に少々長居をした。テーブルいっぱいに並んだごちそうを遠慮なくいただいて、腹は満腹となった。お昼近くになって、慌てて腰を上げた。

今日の予定は、午前中だったが、このままではもったいないと、午後も探訪を続ける事とした。

   2004年5月撮影の板井さん画像 →

カニの庚申塔

板井家から少し上って、公民館を少し過ぎたあたりの左手にカニの庚申塔と呼ばれる庚申塔がたっている。製作は江戸時代。

庚申塔の穂そのものも見事な彫りだが、特徴的なのは台座石に彫られたカニである。
言い伝えによれば、フランシスコザビエルが船旅の途中、嵐を鎮めようと海へ投げた十字架をカニは海底から拾い上げたとされ、この地方では隠れクリスチャンの印とされているが?。



六所宮

東夷の谷に、夷耶馬を見上げる様に、六所宮、実相院、霊仙寺と並んでいる。

山門前の鳥居の額装には「六所宮」と刻まれているが、六所権現と呼ばれている。六所の神は、境内左手の段上に書かれている。
石碑右から、伊奘諾尊(いざなきのみこと)、大直目命(おほなほびのみこと おおかおびのみこと)、八十猛命(やそたけるのみこと)、底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)の六神名が刻まれている。

芳本清一郎先生にいただいた資料「文化財探訪 むかしを語る碑」/「六所神社碑」には、伊奘諾尊、大直目命、表筒男命、中筒男命、上筒男命と彫られていると記載されているが、読み違えでは無かろうか?写真撮影し、拡大観察してみたが、底としか読めない。もしかしたら、その部分を後に修正したかのどちらかであろう。

六神について調べてみた。


伊奘諾命(いざなきのみこと:日本書紀表記)、伊那那岐命(古事記表記)

・古事記の「おのごろ島」より
「是のただよへる国を修埋め固め成せ:このただよへるくにをおさめなせ」の命を受け、イザナキノカミ
 (男神)・イザナミノカミ(女神)の二神がおのごろ島へ天下った。
・古事記「神産みとイザナミノカミの神避り」
 かみうみとイザナミノカミのかむさり
イザナミノカミが火之夜芸速男神(ヒノヤギハヤヲノカミ)を産みたまひしに因りて、みほと(だいじな
ところ)灸(や)かえて病(や)み臥(こや)せり・・・これが原因で、イザナミノカミは亡くなり、黄泉(死の世界:地中の世界)へ行った。

・古事記「黄泉の国:よみのくに」
イザナキノカミはイザナミノカミを追って黄泉へ行き、稿れたイザナミノカミに追い帰えされた。


大直目命(おほなほびのみこと おおかおびのみこと)
日本神話の神産みにおいて、黄泉から帰ったイザナギが禊を行って黄泉の穢れを祓ったときに、その穢れから禍津日神が生まれた。
この禍津日神がもたらす禍を直すために生まれたのが直毘神(なおびのかみ、なほびのかみ)である。

※古事記では八十禍津日神(やそまがつひのかみ)と大禍津日神(おほまがつひのかみ)の二神。

『日本書紀』第五段第六の一書では八十枉津日神が成った後に神直目神(かみなほひのかみ)大直日神(おほなほひのかみ)の二柱の神が成ったとしている。
直毘神(なおびのかみ、なほびのかみ)は大直目神(おほなほひのかみ)に同じ。
八十猛命(やそたけるのみこと)
※誤記と思われる。
この件については、芳本清一郎先生の資料にも、八十猛命は間違いで、八十禍継目神が正しいとしている。

理由について調べてみた。まず、八十猛は尻尾の生えた野蛮なもの‥これは神にあらず。

大直目命と共に祀られる神として八十禍継目神(やそまがつひのかみ)としている。

黄泉から帰ったイザナギが禊を行って黄泉の穢れを祓ったときに生まれた神が、古事記では八十禍継目神(やそまがつひのかみ)と大禍津目神(おほまがつひのかみ)の二神。
後に、この神を祀ることで災厄から逃れられると考えられるようになり、厄除けの守護神として信仰されるようになった。
この場合、直毘神=大直目神が一緒に祀られていることが多い。・・としている。
表筒男命、中筒男命、上筒男命

黄泉国から逃げ帰ったイザナギノ命は、穢れた身体を清めるため、筑紫の海の河口である阿波岐原(あはぎはら)で穢ぎ祓いの儀式を行った。この穢ぎの最中に次々と神々が生まれた。

水の中に沈んでいる時に、底津綿津見神(ソコツワタツミノカミ)、中津綿津見神(ナカツワタツミノカミ)、上津綿津見神(ウワツワタツミノカミ)の三神が生まれ、この三神は海人部族の安曇氏の祖先神となった。

この時、同じく生まれた三神の底筒之男命(ソコツツノオノミコト)、中筒之男命(ナカツツノオノミコト)、上筒之男命=表筒男命(ウハツツノオノミコト)は、海の神、航海の神とされる。(古事記表記)

底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、上筒男命表筒男命(うわつつのおのみこと)は、往吉大神である。往古大社にはこの三神とともに息長帯姫命(神功皇后)が祀られている。海の神、航海の神とされる。(日本神話表記)