kebesu-xb 櫛来社のケベス祭
白地 黒地
2009/10/14・15


国見町櫛来。櫛来社こと岩倉八幡社は、古江という小さな半農半漁の入り江を囲む様に軒を寄せる集落の入り口にある。古江集落は、西も東もトンネルを通らねばこの集落への出入りが出来ない。

この集落からは東に突き出た小さな岬が視界を遮って、姫島が見えない。こんな事からか、姫島の神様と櫛来社の神様は仲が悪かったとの神話もある。

元々櫛来社は、西のトンネルを抜けて川沿いに少し上った枝平地区にあったが、明治の初め頃に、姫島の見えないこの地へ移したと聞いた。そんな言い伝えもあってか、姫島と古江間の嫁の行き来は無いと聞く。
枝平に立って海を眺めると、姫島が直ぐそこに見えた。
櫛来・姫島・枝平

櫛来社の説明書き転記

所在地 大分県 国東市 国見町 櫛来 大谷


名 称 櫛来社(村社格)
    明治4年現在の呼び名となる。以前は磐坐社
    ・岩倉八幡・岩倉社という。


御祭神 六柱の大神を本殿に祀る。
    ・帯中津日子命
    ・息長帯日売命
    ・品陀和気命
    ・奥津嶋姫命
    ・市寸島比売命
    ・多岐津比売命

    左に 若宮八幡
    右に 高良様
       明神様
    尚 山神社等諸神を祀る。


祭日(主たるもの)
   ・初祭(ハツマツリ)   正月の初丑の日
   ・祈年祭(トシコイマツリ)三月二十日
   ・御禊祭(オンバレマツリ)四月十四・十五日
   ・九月祭(ケベスマツリ) 十月十四・十五日
   ・新嘗祭(ニイナメマツリ)十二月一日


由来 本社は宇佐神宮の御分霊を奉祭
   本社に鎮座 約千百年前
   初め海中より岩瀬に御着され光明を放つ里人大
   いに敬い尊み奉り岩背移し奉り之を祀る(現在
   の本宮の下の方)御社殿を造り現在地に移し給
   う。郡内各地に敬神者を有す


氏子数 二百余戸

参考 特にケベス祭は有名で古い伝承を守り古武に法
   り現在まで継承され忌を嫌い男子のみにて他人
   と火を交えず潔斎後祭典が執行される火の海と
   化した境内は壮観である。


祈願 天長地久・五穀豊穣・諸災退除・家内安全・所
   願成就




   櫛来社(くしくしゃ)

櫛来社について、もう少し踏み込んでみよう。

大分県国東市国見町古江地区大字櫛来の地に鎮座する地域の氏神様。

寛平元年(西暦八八九年)に宇佐八幡宮より分霊(ぶんれい;わけみたま)をして祀ったと伝えられている。

櫛来社は、明治四年(西暦1971年)に改称された。以前は、岩倉社・岩倉八幡・磐坐(いわくら)社などと呼ばれており、現在でもこの地域では岩倉社と呼ぶ人が多い。鳥居の額束にも「岩倉社」と刻まれている。

説明書きに有る様に、この、櫛来社には以下の6神が祀られている。①帯中津日子命(たらしなかつひこのみこと)(仲哀天皇)・②息長帯日売命(おきながたらしひめのみこと)(神功皇后)・③品陀和気命(しなだわけのみこと)(応神天皇)・④奥津嶋姫命(おきつしまひめのみこと)・⑤市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)・⑥多岐津比売命(たぎつひめのみこと)(宗像三女神)。

以前、この神は、櫛来の枝平に鎮座していたものを明治のはじめにここへ移したと聞いた。理由は、姫島の神と櫛来の神は兄弟の神であったが、二神の仲が悪く、姫島の見えないこの地へ移したとの事らしい?

これら6神の他、本殿に並んで、摂社(せっしゃ)の若宮社・高良(こうら)社・明神社が祀られている。さらに、回廊の外には山の神社も祀られている。

※摂社(せっしゃ)とは、旧官国幣社において本社に縁故の深い神を祀った小規模神社で、明治維新後からは本社祭神の后神、御子神を祀る神社、本社の旧跡に祀る神社、本社祭神の荒魂、本社の地主神を祀る等、特別な由緒がある神社とされている。
【参考】ウィキペディア(Wikipedia)

さらに、本殿、社殿のある一段下の北(右下画像の右端から)から、疱瘡神・大杉大明神・金比羅宮・瑜伽宮・由原宮の祠が並んでいる。

六柱の神は、古事記や日本書紀にその成り立ちが書かれているが、WEBページで紹されているものを交えながら紹介します。
帯中津日子命:仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)生年不詳。『古事記』『日本書紀』に記される第14代の天皇。足仲彦天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)、帯中日子天皇(古事記)。
神功皇后の夫・応神天皇の父とされるが、実在性を含めて諸事績の史実性には疑いが持たれる。


息長帯日売命:神功皇后(じんぐうこうごう)は、仲哀天皇の皇后。『日本書紀』では気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)。『古事記』では息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)・大帯比売命(おおたらしひめのみこと)・大足姫命皇后。
父は開化天皇玄孫・息長宿禰王(おきながのすくねのみこ)で、母は天日矛裔・葛城高顙媛(かずらきのたかぬかひめ)。彦坐王の4世孫、応神天皇の母。


品陀和気命:応神天皇(おうじんてんのう)は、第15代の天皇。諱(いみな:生前の実名)は誉田別尊(ほむたわけのみこと)、大鞆和気命(おおともわけのみこと)。誉田天皇(ほむたのすめらみこと)、胎中天皇(はらのうちにましますすめらみこと)、品陀和気命(ほむだわけのみこと)とも称される。


奥津嶋姫命:または瀛津嶋姫命(おきつしまひめのみこと)といい、宗像(むなかた)の奥津宮に鎮座されている。


市寸島比売命:イチキシマヒメ(イツキシマヒメ)とは、日本神話に登場する水の神である。古事記では市寸島比売命、日本書紀では市杵嶋姫命と表記する。
宇佐神宮にも、多岐津姫命(たぎつひめのみこと)・多紀理姫命(たぎりひめのみこと)とともに二之御殿(3つ並んだ御殿の真ん中)で祀られている。


多岐津比売命:宗像三女神、『古事記』では多岐津比売命、またの名を田寸津比売命、『日本書紀』では瑞津姫、一書では瑞津姫命の記載も見える。
天照大御神と須佐之男命が天の安河原で誓約をした時に、天照大御神が須佐之男命の持ち物である十拳剣を三段に折り、天真名井の聖水をふりすすぎ、噛んで吹き棄てた。その息から生まれたのが、奥津島比売命、市寸島比売命、多岐津比売命の宗像三神である。

六神以外の神の説明


■疱瘡神(ほうそうがみ、ほうそうしん)は、疱瘡(天然痘)を擬神化したもので、疫病神の一種。
ワラの船に乗って突然現れ、人間の夢の中に入り込んで取り憑く。

疱瘡神は庚申塔のように村のはずれに石塔を立てて祀られる事が多い。



■金刀比羅宮(ことひらぐう)、琴平神社(ことひらじんじゃ)、金比羅神社(こんぴらじんじゃ)は、香川県仲多度郡琴平町の金刀比羅宮を総本宮とし、その主祭神である大物主神を祀る神社であり、日本全国に存在する。



■大杉大明神(おおすぎだいみょうじん)アンバ様等とよばれる神が、ひろく奥羽から関東にかけて知られている。
この神は、漁の神でもあったり、疫病神や疱瘡神でもあったりして、かなりまちまちな形態をとって受け入れられ、信仰の全体像が掴みにくい



■瑜伽宮:大分県の臼杵に諭伽神社があり、失せ物探しに御利益があるとの事。
瑜伽(ゆが)は、仏教におけるサンスクリット語「yoga」の音写語で、感覚器官が自らに結びつくことによって心を制御する精神集中法や、自己を絶対者に結びつけることによって瞑想的合一をはかる修行法。
原義は「結びつくこと」「結びつけること」の意で、「相応」と訳される。

仏教では、瑜伽行派(Yogaacaara)において、このような実践方法が重んじられ、独自の体系のもとに記述された。語の用例としては、上述のほかに、『南海寄帰内法伝』 に、中観派に対する瑜伽行派の呼称として「瑜伽」という語が使われ、それに準じた用例も多いが、今日ではあまり用いられない。

以上、情報 ウィキペディア(Wikipedia)



■由原宮:大分市加来の柞原八幡宮(由原八幡宮)の分霊と思われる。
宇佐八幡が柞原八幡宮に分霊され、更にここに祀られたのだろう。




櫛来社境内の西隣に祀られた神々の祠。左端の祠には魔利支天の文字がみえる。櫛来社には、ありとあらゆる神が祀られているようだ。