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2012/08/16-20

祝島の仮神殿

神舞(かんまい)とは(祝島ホームページ他参照)
神舞神事(上関町産業振興課他のホームページ参考)

平安時代886年(仁和三丁未)8月、豊後伊美郷(現大分県国東市国見町伊美)の別宮八幡宮創建のため、山城国(京都)石清水八幡宮から分霊を受けての帰路、海上が荒れ、伊美港目前にして、船は祝島の三浦湾に避難した。祝島にはわずか3戸の民が貧しい暮らしをしていたが、手厚く持てなしてくれた。

祝島は農作物もなく貧しい暮らしの中で生を受けた子も成長ままならず、嘆き悲しんでいた。
伊美の勧請使一行は、その事実を哀れに思い、祝島の地に荒神霊(大歳神社)を祀って祈願するとともに、農耕の道(麦作他五穀)を授けた。その甲斐あって、その後産まれ来る子も健やかに成長し、島民の生活も豊かになっていった。
祝島の民は、伊美別宮社の恩に深く感謝し、毎年8月にお供え物を捧げる儀式「お種戻し」を行っている。また、4年毎に、伊美別宮社から御神体御輿と二十余名の神職、里楽師(りがくし)をお迎えし、祝島につくる仮神殿を斎場として神恩感謝の合同祭事を行うようになり、今に続いている。これが、「神舞神事」である。

今は、伊美別宮社の御神体と、祝島の氏神・宮戸八幡宮と大歳神社の3社合同の「神舞」祭事となっている。

神舞では三隻つながった神船を中心に櫂伝馬船2隻に大漁旗を飾った奉迎船が連なり、勇壮な入船・出船の海上神事が行われる。また、浜辺近くにつくられた仮神殿では、古式豊かに三十三種類の神楽舞が奉納される。仮神殿は、苫(とま:菅(すげ)や茅(かや)などを粗く編んだむしろ)で小屋掛けされ、たくさんの切り紙で飾られる。

伊美別宮社での神事(2012年8月16日・・堀田富夫氏画像提供)

2012年神舞
(祝島区・祝島神舞奉賛会作成)