2009年5月6日 ・・・・・・・ 国見町 千灯寺 sendou-ji
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補陀落山 千灯寺
ふだらくさん  せんどうじ 
  本尊:千手観音菩薩

国道213号線を伊美川に沿って南に4kmほどのぼると右手(西)に現在の千灯寺がある。

現千灯寺の場所は、旧千灯寺院房の一つ西の坊
であったが明治のはじめ頃に火災にあった事などで衰退、その後、昭和の初期に下払坊と合併して千灯寺として再興された。

寺宝として、鎌倉時代中期の木造如来坐像(像高52cmと同時代の総高59cm石造宝塔(ともに県有文)がある。
境内の宝篋印塔は千燈寺跡にあったものを移したといわれ、均整のとれた美しい姿である。慶応元年(1865)建立。また修正鬼会で使われていた慶長15年(1610)の銘のある鬼面(県有民)や石造太郎天像、秘伝の歓喜天などがある。

境内の宝篋印塔をみると、正面に大日如来の座像が安置されている。この塔をぐるっと四面眺めてみた。

 
最上段(六段目) 五段目刻字 四段目刻字 三段目刻字
コメント他
方角 梵字 読み 仏様名
北面 キリーク 千手観音菩薩 大日如来

大日如来座像
天下泰平
諸人快楽
三界萬霊

西面 タラーク 虚空像菩薩 光明真言五百万辺
念佛一億二百万辺
延命地蔵大菩薩
現住西之坊
豪俊代建之

南面 ウーン 降三世明王 南無十方三世諸仏

血盆経一杏女人成佛
大願主
芹川忠右エ門藤秀
芹川宇左エ門藤長
      敬白
石工 小高嶋
   ?竹松?
東面 アク 釈迦如来 大聖不動明王
百番観音菩薩
八十八ヶ所本尊太師
慶應元乙丑天
十二月吉日
慶應元年(1865年)
宝篋印塔(ほうきょいんとう)

・・・ 宝篋印塔という塔の名称は、鎌倉時代から使われていた様で、塔の中に宝篋印陀羅尼経(ほうきょういんだらにきょう)を納めることからこう呼ばれる様である。宝篋印陀羅尼経だけで無く、法華経や舎利(お釈迦様の遺骨)を納めたものも有る様だ。

もとは、インドのアショカ王の建てた八万四千の塔(銅・銀・鉄製の方形の小塔)の故事に習って中国の呉越王銭弘俶(ごえつおう せんこうしゅく)が作った金銅製の塔で、内部には、宝篋印陀
羅尼と言う息災安穏長寿(そくさいあんのんちょうじゅ)のための呪文を納めて諸国に配ったのが始まりと伝えられている。日本には、仏僧により中国より伝えられた。

塔は一般的には、基部・塔身・笠・相輪により構成され、笠の四隅に角状の突起(隅飾)が有る。
隅飾突起は独特の曲線からなり、内側に円を二つ繫いだ形をしている。
時代により、地域により、それぞれの形が存在する。

三界萬霊(さんかいばんれい)
三界は仏教語で、欲界、色界、無色界をいう。
欲界とは、食欲、性欲、睡眠欲。
色界は食欲より性欲の強いことをいい、無色界は
性欲のない心の世界。
万霊は欲、色、無色界の有情無情の精霊などあらゆる世界をさす。

血盆経(けつぼんきょう)
出産時の出血や月経で神をけがし、そのけがれが
川の水を伝わって茶や料理から更に不浄を重ねて
しまうとした。女は「血の池」地獄に堕ちる事間
違いないというもので、この運命から逃れるため
には、「血盆斎」を営んで「血盆経」を写経しな
ければならないとした。

古い時代の日本では、女性の血のケガレは問題視
されていなかったといわれる。その後陰陽道の影
響によって次第にケガレ意識が拡大し、血も忌ま
れるようになった。その一方には仏教の女性劣機
観もあった様で、血盆経信仰は、両者のうえに塗
り重ねられる形で日本の中に浸透して行った様と
ある。・・・Web検索


かつて山岳霊場は女人禁制であった。それは、女
性差別そのものである血盆経信仰の影響であった
とも考えられる。いまだ残る女人禁制は、この信
仰の影響ではなかろうか。ここ千灯寺で血盆経の
文字を見つけた事は天台密教の中にこの考えが有
ったことを物語っている。


十王堂(じゅうおうどう)

境内の南に十王堂があって、十王石像が安置されている。
なかなか凛々しい姿の十王さんがガラス越しにのぞきこむ私を睨み返している。

十王は、地獄の十忿怒尊(じゅうふんぬそん)の裁判官である。

人間をはじめとするすべての衆生はよほどの善人やよほどの悪人でない限り、中陰(人が死んでからの四十九日間を指す。死者があの世へ旅立つ期間。
四十九日。死者が生と死・陰と陽の狭間に居るため中陰という。)と呼ばれる存在となり、初七日から七七日(四十九日)及び百か日、一周忌、三回忌には十王の裁きを受ける。

生前は十王を祭り、死後の罪を軽減してもらうという意図があった。
十王は死者の罪の多寡を鑑み、地獄へ送ったり、六道への輪廻を司るなど畏怖(いふ:恐れおののき)の対象であった。

なお、俗に主に閻魔に対する信仰ととる者もいる。
これは、閻魔以外の裁判官の知名度が低いせいである。    ・・wikipedia・・参考・・

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