2009年3月28日(土曜日)曇り ・・ 国見町 旧千燈寺址から五辻不動を歩く
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奥の院


奥の院は、岩窟の中に建てられた堂宇である。この中央の奥に千手観音が祀られている事になっているが扉は閉ざされ施錠されている。

この扉の奧に千手観音が御座っているのだろう。
周りは、多くの石造観音菩薩から不動明王までほとんど全ての仏の石像が並べられている。百体観音と呼ばれるが、それ以上の百三十体ほど並んでいる。

旧千燈寺(きゅうせんどうじ)奥の院の堂宇に向かって左手の岩壁に磨崖仏が彫られている。
剥落が激しいが、千灯石仏の阿弥陀来迎図にも似た構図に思える。もしかしたら、阿弥陀二十五菩薩来迎図石仏が彫られていたのかもしれない。

状態の良い画像がどこかのホームページに存在しないだろうかと探してみたが見つからない。

何度かここを訪れたが、それを見過ごしてしまっていた。
古寺巡礼の中の記述でそれを知り、確認並びに撮影することが出来た。
再び書籍【古寺巡礼】によれば、
鎌倉初期の安貞二年(一二二八)五月に、六郷山の諸寺院が、執行兼権別当大法師らの命によって幕府の祈願所として、将軍家や関白家の息災延命、聖朝安穏、異国降伏の大祈祷を行った。そのときの各寺の勤行のもようを報告した「豊後国六郷山諸勤行並諸堂役諸祭等目録」これを「安貞二年の注進目録」と呼んでいるが、この目録の千燈寺の項に、「千燈山岩屋」「五石屋」「岩殿岩屋」「枕岩屋」「銚子岩屋」「滝本岩屋」それぞれについて記している。
「千燈山岩屋」は、千燈寺本堂のことで各種の勤行が詳しく記されている。

「五石屋」は、山項の不動岩屋などのこと。あとの岩屋がこの奥の院の岩屋とみられている。
「銚子岩屋」には仁聞菩薩の御銚子があり、「滝本岩屋」には仁聞菩薩御自筆の如法経を奉納されたと説明されている。
「枕の岩屋」は仁聞菩薩が入寂のところとされており、昔は枕が安置されていたのだろう。

右側の岩くつは六所権現社のあったところでいまは村の滝神社に祭神を合祀しているがこの岩くつがもとは「滝本岩屋」ではなかったかといわれている。
この岩くつの奥に「仁聞御自筆の如法経」を納めたものではないかと思われるりっはな宝塔が安置されていたのである。

この宝塔は、盗難を防ぐために、今は千燈寺でに管されている。


奥の院本堂右手の六所権現跡に上ってみた。急な石段は少々傾いてのぼりにくい。上までのぼるとさらに三段の石段があって、畳にして八畳ほどの平地になっている。
正面の岩壁は緩くオーバーハングして、少々危険を感じる。
その中央に六所権現岩屋の標柱が立てられている。
その標柱の左手のくぼんだ場所に質素な石屋根を載せた祠が置かれている。
これらの遺跡が荒廃の一途をたどると思うと少々寂しい気がした。
石段の最上段に立てられた低い門柱に彫られた天保三年(千八百三十二)の文字が新しく感じた。
六所権現には社殿があったそうだが、昭和43年(1968年)の山火事で焼失したそうである。残念でならない。
Wikipediaによれば、六所権現とは、六柱の神を祭神とすることによるものである。創建当初から六柱を祭神としていた場合、都合により六つの神社を合祀した場合などがある。

令制国の総社の中には「六所神社(六所宮)」という社名のものがいくつかある。これはその国の一宮から六宮までの祭神を勧請して総社としたことによるものである。このことから、歴史学者吉田東伍は「六所」とは「六か所」という意味だけではなく、管内の神社を登録・管理し統括する「録所」の意味でもあるとしている。民俗学者中山太郎は「録所」は墓地の意味であるという説を唱えている。


奥の院の左手に進むと、仁聞入寂の岩屋がある。
〔岩屋脇に立てられている説明書きの転記〕
仁聞菩薩入寂(にゅうじゃく)の岩屋(枕の岩屋)養老年間(七一七〜七二七)
国東六郷満山の各寺院を開基した仁聞菩薩は千燈寺奥の院、枕の岩屋において入寂したと伝えられる。
豊鐘善鳴録(ほうしょうぜんめいろく 延享二年)によると、「其の年の十月二十六日千燈窟に於いて入寂す三楞石(サンリョウセキ)で封す」と書かれ五輪塔群の北端にある三個の角ばった大石の中央に埋葬されたようである。

又、豊後国志(寛政年間)には「僧仁聞の墓は伊美郷千燈寺にある、伝えるところによると、近世墓の樹が枯れようとしている。寺僧が植え替えようと根を掘り、余尋(ヨヒロ)程掘ったところ砂礫(されき)が非常に多く、銅筒三個が出た。蓋を開けて見ると皆白舎利で、仁聞の遺骨だった。その周りは砂の入った十五の小壺で囲まれていた。」と、書かれている。

ここまで来たら、奥の院西側の岩場からの眺望を楽しもう。標高310mの不動山や標高605mの千灯岳、黒木岳他の峰々が谷を取り囲むように連なっている。「旅にありて」の国東半島の風景に紹介されている一節には、千灯岳を以下のように書かれている。
瀬戸内の海上からも見える鐘状休火山。半島中央部の文殊山、小門山、来浦富士などと同じ角閃石安山岩でできており、いずれも独立峰で秀麗だ。中腹から山麓は耶馬溪風の岩峰群で囲まれており、これは集塊岩独特の風景で、全体として複雑な山容を形作っている。
古い耶馬溪層を突き抜けてできたからだろう。標高は605メートルだが、麓からの高低差が大きく、決して低山ではない。

少し汗ばんだ体に谷から吹き上げてくる風が気持ちいい。岩に腰を下ろして鳥のさえずりを聞くのも良い。

さて、心地よかった風も汗が引くと冷たく感じるようになった。今度は、五輪塔群と仁聞の墓と称する場所を訪ねてみよう。

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