奥の院への道
少し道草を食ってしまったが、奥の院を目指そう。
護摩堂跡を少し上ると、山王権現跡と講堂跡の標識がある。どちらも木が生長して立派な森と化している。
山王神道(さんのうしんとう)は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて、天台宗の総本山である比叡山延暦寺で生まれた神道の流派である。狭義には、江戸時代の天海より以前のものを山王神道という。
「山王」とは、霊山を守護する神霊のことであり、ここでは比叡山の地主神である大山咋神のことを指す。大山咋神に対する信仰(山王信仰)と天台宗とが結びついたのが山王神道である。山王神は釈迦の垂迹であるとされた。また、「山」の字も「王」の字も、三本の線と、それを貫く一本の線からなっており、これを天台宗の思想である三諦即一思想と結びつけて説いた。
また、権現とは、日本の神の神号の一つ。日本の神々は仏教の仏が形を変えて姿を現したものであるという本地垂迹説の考え方に基づいた神号である。
「権」という文字は「権大納言」などと同じく「臨時の」「仮の」という意味で、仏が「仮に」神の形を取って「現れた」ことを文字で示している。
・・Wikipedia
講堂跡には四角い手水鉢がひとつ残されている。
天台宗の講堂といえば、成仏寺の講堂では今も修正鬼会が執り行われている。旧千燈寺のこの講堂跡でも修正鬼会が執り行われ、大松明が満天の星空を焦がしたのだろう。荒鬼が松明を持って国家安泰、無病息災、五穀成熟を願っただろう。今はその面影はなく、標識にのみ講堂のあったことを知る。 |
|
|
|
|
|
|
そこから直ぐとところの右手に五輪塔群への道しるべがある。その道を5mほど上がったところに地主権現(じしゅごんげん)の立派な石の祠がある。
地主権現とは、「土地の守護神」という意味。寺が建立される以前からまつられていて、後にその寺を守る神となったものをいう。残念ながらこれ以上の情報は無い。
今は鬱蒼と茂った森の中であるが、山王権現や講堂や護摩堂を見守る位置にある。 |
|
|
|
|
|
|
講堂跡からおよそ三百メートルの急な参道の先の立木立の間に奥の院が見える。少々疲れを感じ始めた足腰を激励しながら石段を踏んで進む。進み行くが毎に奥の院がはっきりと見えてくる。
道の端に丸い大き石が転がっている。中央には六角形のくぼみが彫られている。さて、石灯籠の一部だろうか?
頭の上では透き通ったウグイスの声が木立の中に響き渡る。
一歩一歩急な坂を上っていくと一対の石灯籠があって、右側の石灯籠の笠が無い。
先ほど見つけた丸い石がこの石灯籠の笠で有ることを知る。
地面ばかり睨み付けてここまで上り着いてやっと頭を上げると、奥の院が目の前にあった。
振り返れば、林の間を這い上る参道がながく険しく続いているのが見えた。
石灯籠は、江戸時代に信者によって寄進されてものとのこと。 |
|
|
|