matama-d-02 真玉町の文化財
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薬師堂
残念ながらお堂には鍵がかけられており、薬師様の姿を見ることは出来なかった。
堂の前には、「五悪入山不許」と刻まれた石が立ち、国東塔と五輪塔が置かれていた。

弥勒寺・三社大権現

梅原治夫著「国東の文化と民族」には、寺跡は小庵の横を通り抜けた先の山麓で、雑草が生い繁って礎石すら見ることが出来ない。ただ、寺跡を物語る権現社の鳥居と一段上の処に祠が残され、周囲に石塔類がわずかに姿を見せるに過ぎない。(昭和四九年:1974年)

江戸末期の記録を見ると「城ノ前村下城ノ前西払、西払弥勒寺」とあって、国東六郷山寺院霊場一八五ヶ所の一つとされている。

・・・と記されているが、今は小堂も新しく建てられ、周囲も整備されている。

記されている、寺跡に現小堂が復元されたのであろうか。
境内も、小堂も綺麗に掃除されている。

三社題権現社の鳥居と弥勒寺(右手玉垣の向こう)
弥勒寺



弥勒菩薩立像

不動明王立像

毘沙門天像立像

観音立像
三社大権現左隣の五輪塔・石塔

三社大権現

三社大権現の宝篋印塔


龕の仏

弥勒寺小堂の裏手、三社大権現の前を右に回り込んで進むと、垂直な岩壁の前にわずかな平地がある。垂直に立ち上がる岩壁には龕があり、三体の石像が祀られている。
龕の前には、石灯籠もあり、三社大権現か?とすれば、この左手にあるのは、弥勒寺の奥の院か?



五輪塔(弥勒寺の左手山麓)
弥勒寺周辺には無数の五輪塔が見られる。
五輪塔は、供養塔・墓石と考えられているが、国東半島の五輪塔を見ていると、他の意味があるのではと考えてしまう。
私的には、修行僧が修行の一環で五輪塔を刻んだのでは無いだろうかと考える。