matama-c-03 真玉町の文化財
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上城ノ前伽藍神(清臺寺前旧道)

梅原治夫著「国東半島の歴史と民族」に寺と伽藍神に関わる話が書かれている。

清臺寺からちょっと登った民家の横に龕が認められ、ここに数体の石像が安置されている。部落の人達は「伽藍神様」と呼んでいる。伽藍神は守伽藍神・護伽藍神・寺神(じしん)ともいわれ、寺院をまもる神とされている。
古代仏教である密教はその発生において本地垂迹(仏教の教学上の術語で、神はみな仏がかりに姿をあらわしたものであるという神仏一体説。
本地とは仏の本来の地位を意味し、垂迹とはもろもろの事跡を顕現して衆生を化度する)をとって、わが国古来の神道と結んだ。しかも仏法の弘道をはかるために進んで神社境内又は境域に仏堂を建て、或いは寺院に神社を奉載した。
六郷山寺院をみてもわかるように、寺院の境域に必ず六所権現または身濯神社)のあることを見てもわかるように、これもいうならば伽藍神である。
しかし、寺院を守護する神を祀る小堂・石室・石殿などのように小さな祠の場合もあって、この龕に祀る伽藍神はやはり前に述べたように(清臺寺?)この附近に天台寺院の存在を意味するひとつの証拠とも言えるのではないだろうか。
伽藍神は単に寺院と結んだだけでなく、その土地(部落又は村)を守護することで鎮守として迎え祀られた場合と、寺院の守護神でもあったわけである。上城ノ前の伽藍神の尊命は詳でないが、こうしたところに伽藍神が祀られている!!というところに、国東の国東らしいところがある。



上城ノ前屋敷神(上城ノ前)

堀内氏宅 守護大権現の額装の鳥居と石祠 小さな仁王石像(中央に守護大権現刻字)

堀内家・山口家墓地(上城ノ前)

石造美術的展示場のような墓石

別十字磨崖宝塔(上城ノ前)
市指定有形文化財 室町期


寄四国岩屋弘法大師(上城ノ前)



不動明王

境内からの眺望