matama-b-03 真玉町の文化財
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應暦寺奥の院(姥が懐


應暦寺左の道を上ると、墓地、六所権現、堂ヶ迫磨崖仏と続き、最上部に奥の院または姥が懐と云われる小堂がある。(【天明年中六郷山寺院名簿】に記される妙見の岩屋では?)
太宰管内志の「國人云」に・・さて六郷山はすべて二十一年目に入峯あり(峯入りの事)。この時此の山に来たりて姥が懐(ウバガフトコロ)とて帯をときふろなどに入りて美食する事をもゆるす処なり。・・と記されている。

現在も應暦寺は峯入りコースとなっており、2000年の時は、大般若が行われた。大般若経とは、正式な名前を「大般若波羅蜜多経」といい、今から1300年以上前に唐の国(中国)の三蔵法師玄奘(さんぞうほうしげんじょう)僧侶が16年の間旅をして、天竺(インド)から持ち帰り、その後4年を費やして漢訳したという教典(お経)。おおよそ600巻と言われる般若部経典の大全集。
「色即是空 空即是色」・・一切の存在はすべて空である

天保四年と刻まれた石殿

神棚と御幣と暗闇に置かれた焼き仏

堂の迫磨崖仏

六所権現を過ぎて、少し上った坂道に右岩壁に「堂の迫磨崖仏」がある。

梅原治夫著「国東半島の民族と文化」によれば、岩壁上部に、縦80センチ、横506センチ切り込み約20センチの中に半肉彫りの六観音・六地蔵・願主像倶生神(閻魔王の側にいる神)が、横一列に刻まれている。

六観音・六地蔵共に六道能化の仏であり、六道輪廻の苦しみから庶民を救済する意味の願望によって刻まれたものであろう。

この磨崖仏は、鎌倉末期以降の作で、六道思想が庶民の中に浸透していたことを物語るものとして貴重なものである。なお下部岸壁に仏龕があって、二仏(観音と地蔵?)が刻まれているが、これも大体同年代のものであろう。

立て看板の説明書き

磨崖仏下の仏龕(観音と地蔵)

六地蔵

比丘座像    比丘尼座像  司録立像
民族と文化では、左から願主夫婦、倶生神

六観音

十王座像(中央)


六所権現社

山王七社
山王七社の祠への入り口に立つ石灯籠 山王七社祠

聖徳太子石造レリーフ
石の角に刻まれた聖徳太子像 丸石に刻まれた聖徳太子像

應暦寺裏の墓地
墓石の観音像 墓石の観音像