matama-b-02 真玉町の文化財
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應暦寺

【應暦寺の歴史】・・應暦寺説明書き転記

この寺は大岩屋山 應暦寺といい、国東六郷満山中山本寺の名刹で、天台宗に所属する。養老二年(西暦718年奈良朝)宇佐八幡神の応現といわれる仁聞菩薩(にんもんぼさつ)自らの開創にて約1300年の歴史を刻む。本尊を千手観音とし往時は修験道場として、また済世利民の祈祷道場として栄え25に及ぶ末寺末坊を有していたといわれる。

應暦寺境内外の石仏石像は、両、質ともにまとまり国東半島中特殊な石造品をみることから石仏の寺としてしられる。
【應暦寺の石造品】

灯明石像(寺宝)、仁王像、役行者像、童子灯籠、地蔵像、馬頭観音像、子安観音像、薬師如来像、聖徳太子像、隠れキリシタン五輪塔、マリヤ像(役行者)、曼荼羅畳石(おがみ石)、五輪塔群


寺の本堂内に多くの石造物が石仏が置かれている。その理由は、自然界にこのまま置けば、酸性雨や風雨で石と言えども溶けていく。また、心ない輩によって持ち去られる事もある。
より長く、素晴らしい歴史的文化財を残し見てもらうために風雨を避けた本堂内へ保管する事としたそうだ。


興味深いお話を聞かせていただきました。ありがとうございました。

本尊 千手観音 妙見神像

聖観音(講堂にあったと伝えられる)


古の應暦寺の本尊不動明王 古の講堂の本尊不動明王

石造灯明像 (應暦寺説明書き)

應暦寺不動堂前にあったもので、もともと一対あったが現在はこれだけをとどめている。

二人の比丘が石太鼓を背負い、そして介添えする姿態を一石にまとめ上げたユニークな作品で、この石太鼓の中央正面に穴を穿ちここより紐をつるし油つぼを固定して点火する。太鼓両面に油障子を張り、灯明として点火献上したものである。

作者の優れた考案と、ちみつな細工、そして二人の比丘の面相に表現された浮世を忘れた微笑満面の童子相には作者の心がぴったりと浮彫りされている。
作者は不詳で室町期作と推定する。像高141.5センチ、重量22.4キログラム。

同じものが、杵築市大田の田原八幡社にある。作者は同じか?
住職の話では、太鼓の中央あたりに油と灯心を入れて火をつけ、太鼓の両側に油紙をはめる構造の様だが、両側を塞ぐと火は消えてしまうそうだ。

十一面面観音石像
應暦寺の十一面観音は座像で十一面八臂(八本の手)の珍しい姿である。

ご利益は、十種勝利と四種功徳をもたらすと云われる。
役行者石像・前鬼・後鬼
役行者石像:像高45cm、前鬼・後鬼石像:像高
38cm。石は角閃安山岩で彫りは繊細。

元々は、尻付山頂に祀られていたものである。
保存の理由で此の寺に安置した。

妙見菩薩石像
【お姿・形】應暦寺説明資料より
お姿は、通常天女の姿とされるが應暦寺の妙見菩薩製造は僧形であり雲(瑞雲)の中を駆け上がる龍の背に結跏趺坐し、左手に剣を執って肩に当て、左手に連珠を持つ。背後には瑞雲を刻んだ舟形光背をいただき、中央に円光(月輪)をえがいて七曜を表現している。

【ご利益】
厄除け、開運、目の病に効験ありとされる。国東半島では、海上安全、豊漁祈念の神として信仰されてきた。
役行者(マリア観音)石像
【お姿・形】應暦寺説明資料より
当尊像は、行者頭巾を深くかぶり顎の下で結び、一本の歯の高下駄を履いている特異な姿である。

なお、應暦寺境内には「隠れキリシタン五輪塔」や妙見菩薩石造(隠れキリシタンの信仰対象仏ともいわれる)等が安置されていることから関連づけられ、その女性的な優しいお顔から「マリア様」と何時のころからか呼ばれている。

キリシタン弾圧の時、国東半島の多くの天台寺院がキリシタン信者をを守ったと云われている。