matama-a-03a 真玉町の文化財
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 威王山 無動寺(天台宗)

無動寺境内の神仏
境内右手お堂の石造神仏
不像明王 地蔵菩薩 観音 子安観音 生目八幡 マリア観音?

地蔵菩薩
連碑塔 供養塔 地蔵菩薩



本堂裏手の羅漢像



西国八十八ヶ所
裏山に西国八十八ヶ所のお地蔵さんが置かれている。順路をまわれば八十八ヶ所のお参りが出来る。 ほぼ裏山の八合目附近にあるお堂。何番札所だったか?
痛みが激しく、立ち入りは危険。

上のお堂の中の不動明王

どんどん登って行ったら、無明橋があった 無明橋を渡ると石の祠と絶景が広がった




さらに登ると、先程渡った無明橋の上に、天念寺の無明橋が見えた(画像中央最上部)

五十一番札所発見 九合目あたり

笹だけを掻き分けて展望台へ到着・・絶景


展望台からのパノラマ

無動寺からこの尾根に登り、椿堂へ下るルートがあるらしい。無動寺住職はそのルートで椿堂へ
お参りに行くそうだ。・・今度は、そのルートを探してみよう。

身濯神社
身濯神社の額装鳥居
祭神 伊奘諾尊 大直日命 八十猛津日命 表筒男之命 中筒男之命 底筒男之命
(菅原神 大物主命)明治十八年五月合祀
由緒 桓武天皇(かんむてんのう)の延暦年中に此の地に鎮座、承平、応和の頃本地垂迹説の所産として六所権現と称されたが明治初年の神仏分離令により身濯神社と改称、明治十八年、菅原神、大物主命を合祀。昭和十六年村社に昇格
境内 三六六坪
例祭 四月十四日、十五日。十月十四日、十五日
史跡 六所権現鳥居 享保七壬寅天(一七二二年)
石燈爐    明治二乙酉天(一七六五年)
石像神殿   弘化五申三月(一八四八年)

六所権現の額装鳥居

拝殿



 身濯神社下の観音堂
小さな観音堂があり、春はおせったいが出されている。
お堂にはいると、奥に龕に観音像が安置されている。
元々は、龕の観音堂だったものに覆い屋根の小堂を造り付けたものだろう。