威王山 無動寺(天台宗)
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九州三十六不動霊場第六番札所
養老2年(718年)に仁聞菩薩によって伝えられる古刹で、六郷満山の中山本寺として栄え、最盛期には末寺が12あったという。
本堂には本尊の不動明王をはじめ、大日如来座像、薬師如来座像などの平安時代から鎌倉時代にかけての16体の木造の仏像が安置されており、すべてが大分県の有形文化財に指定されている。このうち、本尊の不動明王像は、桧の一木造で、像高115.8cm。12世紀中頃の作とされる。
本堂の裏には、十六羅漢像をはじめとする石仏や石塔が並ぶ石仏公園がある。寺院の背後には黒土耶馬(くろつちやば)と呼ばれる、耶馬溪に似た奇岩から成る絶壁がそびえる。 |
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年中行事 |
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1月 |
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元旦0時 初護摩
元旦~節分まで新年御祈祷
13日~2月2日寒行 |
2月 |
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3日11時 星祭り
15日 13時 涅槃会 |
6月 |
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3日 10時30分 山家会
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8月 |
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18日 11時 施餓鬼会 |
11月 |
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23日 10時30分 霜月会 |
12月 |
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大晦日 除夜の鐘 |
毎月28日は不動縁日護摩 |
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薬師如来坐像 |
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脇侍
制多迦童子 |
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本尊
不動明王 |
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脇侍
矜羯羅童子 |
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大日如来坐像 |
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不動明王 |
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薬師如来(後は十二神将) |
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大日如来坐像
印相は、法界定印の胎蔵界。像高1.78メートル。
宝冠をつけ、万引左右の両腕上膊に臂釧(ひせん)、両手首に腕釧(わんせん)をはめている。材料は樟。藤原仏としては末期の作品?。蓮華座を欠いでいる。 |
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像高1.55メートル・仏材は樟の一本造り。一重の蓮華座に結跏跌坐(けっかふざ:坐禅を組むときの足の組み方)している。
表情は、柔和で目は半開している。
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薬師如来の薬壺 |
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修正鬼会面 |
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仏画 |
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天井画 |
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天井画 |
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丁寧な説明をいただいた青山住職 |
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太宰管内誌の「無動寺」
「六郷山諸勤行注進目録」安貞(あんてい)1227~8年による・・として、六郷山寺院中山本寺、山号を小岩屋山、本尊は薬師如来とある。
また、年中勤修(正月六日から八日)、修二月会(二月一日~三日)、一夏九旬不断供(七月一五日)、大盤若会、修八座問答講、法華不断経、天台大師供、薬師講、往生講、仁王講、一万巻心経会他多くの勤行が行なわれた事が記されている。
「六郷山定額院主目録」記載として、小岩屋山無動寺院主本松院徒呂十二房也 私日六郷山ノ什物此の寺に在り・・とある。
「國人云」として、無動寺は、真玉庄下黒土村にあり、天台宗にして入五間横十二間の堂あり。南向きにして本尊は不動明王なり。後に峻岩あり、前に小流あり、向ノ方に数多の岩峰あり、左ノ方向処に観音堂あり。入一間、横一間半。本尊は馬頭観音なり。講堂は、十丁余下流にありて入三間、横四間、南向きなり。本尊は薬師如来、傍佛は、弥勒と観音となり。 |
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ここで見えるのは、無動寺は多くの諸仏資料があったとの記録である。今も、多くの仏様が残り、古き信仰の強さを感じる事が出来る。
「六郷山諸勤行注進目録」によれば、山号が小岩屋山、本尊が薬師如来とある。その後、「國人云」として、本尊が不動明王と変化している。
「國人云」記載で、左ノ方向処に観音堂あり・・とある。これが、四王権現であろう。講堂は、十丁余(1.1km程)下流にありて・・は、どこであろうか。
十二神将
像高ば約七〇センチ。十二神将の尊名を次に記す。
宮毘羅(ぐびら)・伐折羅(ぼざら)・迷企羅(めきら)・安底羅(あんちら)・額儞羅(あにら)・珊底羅(さんちら)・因達羅(いんだら)・波夷羅(はいら)・摩虎羅(まこら)・真達羅(しんだら)・招杜羅(しょとら)・毘羯羅(びがら)の大将である。 |
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