matama-10a-01 真玉町の文化財
←Top 2012/09

龍ヶ谷 大山祇社(真玉町三畑龍ヶ谷)

「大山祇宮」の額装 鳥居の柱には、寛延二(1749年)

この仁王は、1920年〜30年頃、近くの墓地からこの神社へ移されたとの事。この神社の上に、土谷庄屋の屋敷跡がある事から、土谷家の墓地にあったものではなかろうか。   造立は明和三年(1766)。
吽形仁王(128cm) 阿形仁王(122cm)

境内に祀る末社 文政十丁亥(1827年)

神社裏手に「清水槽」と書かれた石鉢
地区の水道用貯水槽?近年のもの?

元庄屋土谷家屋敷跡
元庄屋土谷家屋敷跡
神社の前を少し上がると、この地区では広い平地が広がる。真ん中に御影の柱が立てられ、「元庄屋土谷家屋敷跡」と刻まれている。

この地区には、大した平地はなく、急な斜面を切り開いた棚田の跡が残るが、山間地での米作他で、比較的豊かな地域であったことが想像できる。庄屋土谷家もその豊かな時代に栄えたのであろう。

近代的な農業が盛んになるまでは、狭い谷間で落ち葉を堆肥とし、わき水を用水とした米造りが行われていた事を物語る。
残念ながら、魚粉肥料・化学肥料や農薬の普及、農機具の発達で、平地での農業が可能となった事で、厳しい山間地での農業は衰退していったのだろう。

急な斜面に何本もの道跡が残り、その先には、狭い棚田跡が木々に覆い隠されている。

何を祀っていたのだろうか

立派な唐破風付石室

龍ヶ谷 小一郎石祠・仁王(真玉町三畑龍ヶ谷)

神社から少し下った、右手(谷側)にある。よく見れば、参道が下からあったようで、下の竹藪の中に石碑らしきものや石段が確認出来る。 仁王は、小振りで、享和元年(1801年)造立。願主土谷軍平とある。
吽形仁王57cm。阿形仁王は首が欠損している。