matama-10a-02 真玉町の文化財
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 山ノ口 大山祇社・仁王(真玉町三畑山ノ口)
地区公民館から少し下ったあたりに、山ノ口地区への入り口があり、その直ぐのところに神社がある。
神社の前には、折れた鳥居の柱が取り残されている。
神社手前の木の根元に、鳥居の額装や首や手の欠けた仁王などが無造作に置かれている。

村人によれば、神事の祭に破損させたとの事。また、別の村人によれば、ここは仮の神社で、龍ヶ谷の神社が完成するまでのものだった。龍ヶ谷の神社完成後に仁王他を破壊したが、社は残した。・・・諸説有り。

仁王は龍ヶ谷の神社の仁王と同じ作者が同じものを造った様で、その体型や大きさはほぼ同じとみえる。

高良大明神と阿蘇大明神だろうか?

首も腕も折れた仁王

石殿と額装

 山ノ口 小堂の石像仏(真玉町三畑山ノ口) 

小堂前の道しるべ・・要調査 岩の割れ目にも石の祠が祀られている

道しるべの石塔がある小堂

山ノ口 大山祇社から橋を渡って、数十メートル先の岩壁にもたれるようにひなびた小堂が建っている。

注意して見なければ、それが神仏を祀るお堂だとは誰も気づかないだろう。

小堂は、今にも朽ちて倒れそうな状態で辛うじてたっている。
中をのぞけば、二体の観音石像と、四角い石に地蔵らしき像が二体ずつ彫られた物が三つ並んでいる。もしかしたら六地蔵かも知れない。

今は信仰も忘れれてしまったのだろうか、荒れ果てたお堂の中の観音様や地蔵様も寂しく佇んでいた。


奉造立礫堂国東三十三所第十四番観世音菩薩の墨書きあり

山ノ口集落
十数年ぶりに訪れた。当時は、数軒が生活していたが、今日は一軒のみと寂しく消える寸前の集落だった。十数年前に、うろついている私にお声掛けいただき、ウドを持たせてくれた一番奥の土谷さんの姿も無く、その家屋根も落ちかけて生活の痕跡は遠くに消えていた。

小さな炭焼き小屋の前を通ると、かすかに焦げ臭い炭の匂いがした。

せせらぎ沿いを下ると小さな石お祠があった。格子が嵌められて、中の仏様はよく見えない。祠には七十番の文字が刻まれていた。西国八十八ヶ所の七十番だろうか?

先祖から受け継いできた棚田も耕作の民を失い、寂しく杉苗が植えられていた。