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2010mineiri-t

岩戸寺から・・・
石立山岩戸寺→治地山大聖寺→大聖寺五輪塔群→久保山長慶寺→三十仏岩屋(遙拝)→峨眉山文珠仙寺→仙ノ不動岩→奥の院→清滝観音→龍下山成佛寺(昼食)

→大嶽山神宮寺→参社山行入寺→桜八幡社・興導寺(遙拝)→医王山丸小野寺(宿泊) 

画像は2010年6月26日

成仏寺 ←クリックすると太宰管内誌情報へ

少し下ると、今日の昼食場所である成仏寺へとたどり着く。今日の昼食場所となっている。

天台宗 龍下山 成仏寺(じょうぶつじ)

養老2年(718年)仁聞菩薩の開基。六郷満山末山本寺

本尊:不動明王

国東六郷満山霊場第29番

九州36不動尊巡礼の第3番札所

成仏寺で昼食を済ませた一行は神宮寺へ向かう。ここから道は大獄山の東の麓沿いに南東約2.5㎞程の山の中の道となる。

川沿いに農道を下り、大獄山の麓沿いに峠を越えるコースだが、やや、入り口が分かりにくい。私も、「あき21]の木田さんの先導でこのコースを歩いたが、一度では覚えられない。

こんな状況から、峰入りの一行も山道への入り口が認識出来ず、少々遠回りをしたと聞いた。

私が歩いた6月26日の道は雨水を集めて小川となっていた。

さて、僧侶一行はどの道を歩いたのだろうか。

難所に阻まれた一行は大きく時間をロスして、神宮寺へ到着した。

神宮寺 ←クリックすると太宰管内誌情報へ

九州三六不動霊場二番札所 六郷満山霊場三十番札所。山号は大嶽山(標高560m)。

神宮司の寺名は、宮寺を意味し、神仏習合(神も仏も分けては考えない国東半島の神仏に対する心)を良く現している。

六郷満山では、本山本寺八ヶ寺のひとつに鞍懸山神宮寺があったが、今は、本山本寺十ヶ寺の大嶽山神宮寺のみが神宮寺の名を残すのみである。

神宮寺は、明治二十九年、修正鬼会の火が原因で講堂を焼失した。

      画像は2010年6月26日撮影




行入寺 ←クリックすると太宰管内誌情報へ

さて、捻挫で悔しい思いを布団の上でしていた私も、どうやら歩ける状態になった。プロテクターをしっかり着けて、神宮寺から行人寺へ下って来る一行を捉えようと思い、少し早い昼食を済ませて両子経由で行人へと向かった。

行人寺を見下ろす高台にカメラを構えたが、予定時刻になっても一行が現れない。一行を持つ人々が行人ダム下の公園に集まっている。様子を聞こうと下って行くと、なんとk-plan氏の姿が・・・

様子がわからないまま持っていると、NHKの取材クルーと大聖寺の住職が現れた。様子を尋ねると、
だいぶ遅れているとの事。仕方無くここで持つことにした。

大聖寺の住職は、本日の宿泊場所である、武蔵町の丸小野寺が初めての宿泊を担うのを心配して、早め
に様子見とお願いに行かねばと、出発した。

この話の中で、私は、一行が海岸まで下り、国東市の興導寺へ参拝すると思い込んでいたが、興導寺は遥拝で、コースは、ここから古柄集落を上り、山越えで丸小野寺ヘ向かう事を知った。

さて、しばらく持っていると、行人寺の裏山あたりから法螺貝の音が聞こえてきた。そろそろ到着だろ
う。行人寺へ続く道路の右手方向に白装束の一行が現れた。先頭は、文殊仙寺秋吉先達。力を振り絞っ
て力強く先導している。

一行は、桜の並木に迎えられて、行人寺の参道を上って行った。




行入寺への参拝を見届けて、古柄(ふるえ)地区の道を丸小野寺へと先回りする。
古柄集落に入ると、道端に集落のお年寄り達が行者一行を持っていた。

車を停めて、皆さんと少しだけ話をして、一枚写真を撮らせていただいた。後日お届けしよう。
どの顔も信仰心厚い優しい顔だった。

急なのぼりの道をクネクネと車を走らせ、武蔵町の谷へと下る。
丸小野寺地区へ到着すると、村人は、すでに道路脇に座り込んで行者一行を持っていた。

陽はすでに傾き、夕闇が追っている。行者達は、あのきつくて長い上りの舗装道路を何処まで来ただろうか。古柄のお年寄り達は、行者一行の加持を受けただろうか?


陽はすでに傾き、夕闇が追っている。行者達は、あのきつくて長い舗装道路を何処まで来ただろうか。
古柄のお年寄り達は、一行の加持を受けただろうか?

かなりの長い時間が過ぎて、待ちくたびれた頃、薄闇の中から法螺貝の音と共に行者の一行が下って来るのが見えた。岩戸寺を出発してからゆうに10時間を過ぎている。過酷な修行に耐えてここまで歩いてきた一行の表情は薄闇の申で輝いて見えた。

法螺の音と六根清浄の声が徐々に近づいてくる。


丸小野寺

宗派:天台宗
第十六番,医万化丸小野寺,六郷満山中山末寺,不動明王,大分県東国東郡武蔵町

一行は、最後の坂を上って、丸小野寺の境内へ到着した。待ち構えていた村人達の大きな拍手で迎えられた。疲れきった行者達は、迎えてくれた入々一入ひとりに錫杖で加持し、講堂にあがり、丸小野寺のご本尊に無事到着の報告をした。

待ち構えていた村人達の入れた熱いお茶をいただき、自分の、同行の皆が無事に今日の行程を歩いた事を喜び合い感謝したであろう。

今目の修行を無事終えた、清清しい笑顔が私までも元気にしてくれた。・・お疲れ様でした。

この後、ご近所の風呂を借り、食事を済ませて、夜の勤行で今日を終える。

そうそう、大聖寺の住職から聞いた話を思い出した。寺での宿泊で大変な事は、風呂とトイレだそうだ。
風呂は、大勢の僧侶が使うため、寺の風呂では間に合わない。そこで、寺のご近所や檀徒の家にお願いして確保するとのこと。 トイレは、順番待ちの不自由となるそうだ。私の心配した布団は、便利な世の中になって、貸し布団で賄うとのこと。
そうそう、食事は、檀徒やご近所のボランティアの協力で成り立っているとうかがった。
なかなか大変な裏方の支えが必要な行事である事を理解した。