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2010mineiri-l

威王山無動寺(黒土不動尊無動寺)
画像撮影:2010年3月22日
天念寺耶馬、天空の霊場を後に、峯入りの一行は北の谷へと下る。やや急な、行者道と呼ばれる道を15分も下れば、無動寺のある黒土野谷へ出る。道程は、天念寺から無動寺までが700m程と言われているので、無明橋のある尾根からは400~500mくらいだろう。(健脚なら、40分程で越えられる。)

道は、やや荒れているが、わかりやすい。
峯入りの一行は、どのくらいの速さでこの谷を下ったのだろうか。

今日は、一人で薄暗い森の中の行者道を下る。この道筋にも観音様の石像が祀られていた。


黒土不動尊無動寺

大勢の峯入り一行が田んぼのあぜ道を歩いて、橋を渡り、無動寺へ参拝した事でしょう。

無動寺(むどうじ)は、大分県豊後高田市(旧真玉町)黒土にある天台宗の寺院。

養老2年(718年)に仁聞菩薩の開基と伝えられる古刹。六郷満山の中山本寺として栄え、最盛期には末寺が12あったと記録にある。

本堂には本尊の不動明王像を、大日如来座像、薬師如来座像など、平安時代から鎌倉時代にかけて制作された16体の木造の仏像が安置されている。すべてが大分県の有形文化財。本尊の不動明王像は、12世紀中頃の作とされ、桧の一木造、像高115.8cm。

本堂の裏には、十六羅漢像をはじめとする石仏や石塔が並ぶ石仏公園がある。


応暦寺

無動寺から3km強の距離。2km程川沿いを下って右折し、大岩屋の谷を1kmほどのぼると左手が應暦寺。

大般若

應暦寺では大般若が行われた。
大般若経とは、正式な名前を「大般若波羅蜜多経」といい、今から1300年以上前に唐の国(中国)の三蔵法師玄奘(さんぞうほうしげんじょう)僧侶が16年の間旅をして、天竺(インド)から持ち帰り、その後4年を費やして漢訳したという教典(お経)。おおよそ600巻と言われる般若部経典の大全集。
「色即是空 空即是色」・・一切の存在はすべて空であるという空間思想を説いているものとされている。

大般若経600巻を複数の僧侶で転読(てんどく)し、世界平和、五穀豊穣、厄災消除、峯入り満願他を祈願した。
転読とは、経本を1巻1巻正面で広げ流し読むことで、それによって清らかな”般若の風”が起きるとされている。

應暦寺(寺境内の説明書きより)

山号を大岩屋山といい六郷満山中山本寺十ヶ寺の一つである。
奈良朝時代養老二年(718年)宇佐八幡の応現と云われた仁聞菩薩の開基なり
盛況時は末寺末坊社等二十五を擁したと伝えられる。
本尊は千手観世音菩薩を安置もと不動堂より遷座した不動明王を併祀する。
平安、鎌倉を始め各時代の仏像・文化財は今も多く残され往時を物語っている。
当山は古来より祈願祈祷の道場として転禍為福厄難消除。二世安楽。心願成就
等の篤い信仰がとられている。また、境内外は石仏の宝庫として特殊な石造に接することが出来る。

文化財
不動明王座像  平安時代
千手観音立像  鎌倉時代
阿弥陀如来座像 室町時代
不動明王立像 鎌倉時代

当山の背後、六所権現社には、堂の迫磨崖仏がある。

應暦寺前から尻付山を望む(應暦寺北東に聳える山)
尻付山西側の峠を越えて夷の谷へと下る。・・難所